マチルダBABY

あるところで夢うつつの状態でサザンのマチルダBABYを聴いて、驚いたのだ。

こいつ、すげぇ、と。

サザンは高校生の頃ちょっと聴いていてもちろんこの曲も知ってたんだけど。 歌詞の空疎さとかから最近はぜんぜん聴いてなかったんだけど。

 

平野啓一郎 「日蝕」 

芥川賞をとったときは騒がれた。文芸春秋を買って読もうとしたが読めなかった。
石原がケチをつけていた。当時はやたら難しい言葉をつかうなと思ったが今読んでみるとそうでもない。あらためて読んでみるとなんだかドラクエやFFの世界のようである。当時は京大法学部ということなどにビビっていたのだが、しょせんはまだハタチくらいのガキ(失礼)の書いたものである。

キリスト教の話がでてくるのだが、彼はいったいどう思っているのだろう。
クリスチャンなのだろうか?信仰が人格のすばらしさにすりかえられていてはダメだ、受肉したことの意味が大切だ、などはいいところをついているのだが、いったい彼はキリスト教をどうとらえているのか。

錬金術、アンドロギュノス(両性具有)、魔女・・・
異端とされているものを賛美しているように見える。
アンドロギュノスの火刑はあきらかにイエスを意識しており、冒涜していると怒られてもしかたないだろう。
エログロナンセンス・・・・
ただ、一気に読まされたし、ときどきうっとりするような気にさせられたのも確かである。なんでこんな文体なんだというイラつきもなくはなかったが・・・
読み終わって、私の本棚の三島コーナーの横にしまってやった。

壊れた扉から




CDを買った。初めて聴いたのは発売直後、まだアナログレコードだった、確か高校2年の冬、2月だったと思う。貸しレコード屋で借りて、返すために学校にもってったら何借りたの?と聞かれてオザキといったらオザキっていいか?とちょっと小ばかにされたが俺はこのアルバムが大好きで、ダビングしたテープを死ぬほど聴いた。回帰線はいいと言った兄貴もこのアルバムはなんか気に入らなかったようでとくに最後のほうでオザキがしゃべるのが気に食わなかったらしいが俺はそんなことまったく気にせずに尾崎はいいなあと聴いていたものだ。

それからしばらくして、俺はそのテープを捨ててしまった。尾崎だけでなく、貸しレコード屋で借りてダビングした数々の名作をみんな、捨ててしまった。
それからしばらく尾崎を聴く事はなかったのだが、死んで半年くらいたった頃、耐え切れずに貸しレコード屋で、今度はCDだった、扉と、バイブルを借りた。そのときなぜか買ってもいないのにカセットテープを2巻つけてくれた。俺は何も言わずだまってそれを受け取って、録音して、また擦り切れるほど、音が片方のスピーカーだけ一部消えるくらい、聴いた。

そのテープをMDに録音したものは今でも持っている。もう一枚MDがあって、それは擦り切れてしまったテープ音源はあんまりだからと近所の貸しレコード屋でCDを借りて録音したものである。だから私は扉を録音したMDを2枚持っているというわけだ。

このアルバムは、路上のルール、forget-me-not、彼、という彼の作品の中でも指折りの傑作がならぶものすごいアルバムであり、特にレコードではひっくり返した最初の曲であるFreeze moonは、尾崎の最高傑作であると、わたしは思っている。

大日本人



「大日本人」と「監督ばんざい」が公開中である。
昨日「大日本人」を見ようと西武新宿駅近くの映画館にいった。
18:50分からの回が始まる30分くらい前だったが、満員札止めだった。
まっちゃんの映画をみんなが見ているのはいいことだが、ちょっとほとぼりがさめるのを待とうか。
さすがの俺も、「監督ばんざい」は見ない。
タダ券でももらって、2時間つぶす必要があって、あるいて10分くらいのところに上映館があって、というような状況なら見るかもしれないが。


「大日本人」
☆☆☆☆★

今回から星をつけることにした。巨大化して怪獣と闘うとかいう話をきいてオジンガーみたいなのをやるのかと心配していたのだが、CMでかいま見える映像はなかなかいいのでひょっとしたらいいかもしれないと期待していた。生活臭のにじみすぎな大の日常と映像としては上質だがくだらなさはごっつと変わらない特撮シーンのギャップがよかった。塚本晋也の鉄男をほうふつとさせる。私はあのインタビューシーンみたいなものをずっとやって欲しかったくらい、楽しかったが、それもあのグロテスクでナンセンスな戦闘シーンがあればこそだったのかもしれない。最後にグダグダな感じになったのは、破綻でも逃げでもないだろう。まっつんはああいうのが本当に好きなんだ。「映画で何をやっとんねん」と言われたかったのだ。映像は美しかった。見ていて気持ち良かった。


大日本人をもう一度見た。2週間くらい前に行ったら満席だった新宿の映画館である。こんどはすわれたのだが席は8割くらい埋まっていただろうか。前回の池袋のときとは客層が違い、カップルが多く20代が一番多かったのではないだろうか。反応もよく、終始クスクス笑いが起きていた。板尾のでてくるところではみんな笑うのは池袋と同じだった。1回目は1時間くらいたったところで退屈になって時計をみたのだが今回は非常に時間のたつのが速かった。問題の「実写」シーンであるが、
もう一度あのシーンの意図を考えてみた。松本は、このまま終わったらカッコよすぎてしまうことを恐れたのではないか。もうお笑い番組に出ても笑ってもらえなくなってしまうのでは、と。それがイヤだった。まっちゃんはいつもくだらない事ばかりいっているしょうもない芸人でありたかった。だからあんな風に最後をわざとチャチにしたのだ。


7/21からリンチの新作が公開されるようだ。見に行こう。
今週から上野で大日本人が始まる。また見ちゃうかな。


大日の3回目を見た。途中で強烈な尿意をもよおしたため、終盤はあまりじっくり見られなかった。
3回目ともなるとさすがに飽きてきた。今まで見たどの映画館よりも客の反応は薄く、かろうじて一人女の子の笑い声がきこえた。
そのコは「おしまい」の文字が出たときに拍手していた。そんなやつは初めてだ。
3回目での新しい発見は、反射をうまく使っていた事。
コンビニやファミレスのガラス窓に映る街の風景に重なる人物、雑多な商品。
スクーターで変電場へ行くのを車内から追う時のフロントガラスにうつるダッシュボード、
たそがれた景色、風に舞う木の葉。それらはとても美しい。
問題のラストであるが、見た後寝て起きて思ったことがあるが、これは一種の「夢オチ」なのではないだろうか。

Baba O'Riley


Don't cry
Don't raise your eye
It's only teenage wasteland
Peteの歌詞は、特にWHOの曲は、たいした内容がないものが多い。ラリって作ったようなものが。名作とされているNEXTがあまり好きでないのも、歌詞のせいである。
さてbabaのなかの有名な dont't raise your eye であるが、これはどういう意味なんだろうか? raiseというのは raise your handとかで使う、「あげる」という意味だから、私は「目をあげる」という意味だとずっと思っていた。普通、「泣くなよ」ときたら「顔をあげなよ」と来ると思う。それなのに、Raise your eyeではなく、Don't raise your eyeなのである。

ただ、raise your eye という表現自体が、あまり使われないのではないだろうか。
肉体的な目のことをいうときは、open your eyesのように所有代名詞+複数形で使うが、単数で使う場合は視点とか観点という抽象的な意味になるのかな?keep an eye とか catch your eye とか。

目をグリンと上に向けるとなんか、「もうだめだ、参った」みたいな感じもするけどそういう意味なのかとも思う。

Psalm 121
1I will lift up mine eyes unto the hills, from whence cometh my help.
2My help cometh from the Lord, which made heaven and earth.
3He will not suffer thy foot to be moved: he that keepeth thee will not slumber.
4Behold, he that keepeth Israel shall neither slumber nor sleep.
5The Lord is thy keeper: the Lord is thy shade upon thy right hand.
6The sun shall not smite thee by day, nor the moon by night.
7The Lord shall preserve thee from all evil: he shall preserve thy soul.
8The Lord shall preserve thy going out and thy coming in from this time forth, and even for evermore.

「われ山に向かいて目をあぐ」

これは太宰がどっかで引用していた。
これの事か?

「目をあげて助けてくれる神様をさがすな
ただのteen age wastelandだよ」

ということなら意味が通る。

「そんな目でみないでくれ」と訳している人がいた。
ほーなるほど。サリーにむかって言ってるんだな。それはあるな。


ジル・ドゥルーズ 「記号と事件」

めっきり本を読まなくなったが、ドゥルーズという人の「記号と事件」という文庫を買った。あるブログで紹介されていたのである。ちょっと読んでみたがあまりおもしろそうではない。フーコーとか、ドゥルーズとか、レヴィ・ストロースとか、構造主義とかは大学生になりたての頃に、ちらりと聞いたのだが、どうもピンとこなかった。そしてこの辺の人たちはホモっぽいよね?当然のように無神論者だよね?そういうところからあまり近づけない人たちである。

ドゥルーズは自殺している。フーコーはやっぱりホモでエイズで死んでる・・・。
ストロースはまだ生きてる。もう100歳近いじゃないか。
きっかけはソシュールだった。講義の本を買って意気込んで読んだがたいしたことを言っているようには思えない。「言語そのものとそれが示すモノの関係は恣意的だ」ということがちょっと引っかかったくらいで。さらに本人が言語学に失望したというような話もきいて冷めた。構造主義というものもよくわからない。後に高岡がソシュールや構造主義に言及していてそのときはかなり興奮したのだが今では高岡にも興味を失いつつある。

映画 「ボヘミアンラプソディ」

私はクイーンが嫌いでiPodの中にも1曲も入っていないし、 今までレコードやCDもほとんど聴いたことがない。 ベスト盤か何かを借りたことはあったかもしれないが、 まったく興味を持てなかった。 彼らの曲はテレビCMその他で嫌というほど聞かされていて、 ボヘミアンラプソディ...