2008/04/26

I'm not there



I'm not there という映画で、ジャームッシュ映画で初めて見て気になった女優であるケイト・ブランシェットがdylanに、1969年ごろのdylanに扮しているのだが、どの写真を見てもそっくりである。レビューなどでもケイトの話題ばかりである。ケイトがすばらしいのではあろうが、彼女にディランをやらせようと考えた人はただものではない。監督の案なのだろうか?彼女が立候補したのだろうか?オーディションでもやったのだろうか?Dylanをプロテストシンガーだとか反体制文化の旗手だとかいう風にとらえるのはうんざりだが、どうやらこの映画はサラっとしているようなので、このまま眠くならなければ見に行ってみようかと思っている。たまには文化的な週末をすごそう。

予告編を見たら泣きそうになった。なんでだろう。

ケイトは素晴らしかった。彼女だけで撮ってもよかったんじゃないかっていうくらい。Dylanがらみの映画にはろくなモノがなかった。そのなかではマシだった。フィクションにしたのはよかった。

でも、この映画も他のDylan映画と同様に失敗作であるのは変わりない。失敗の原因は、ストーリーの核が定まっていないことだ。記者会見のような形式で語るランボーと、離婚することになる夫婦の話、この二つの柱が細く不安定なためだ。

そしてDylanの曲は映画のBGMにはならない、ということを改めて知った。ケイトは歌まではやらなかったようだが、あそこまでやるなら女声でもなんでもいいからLike a Rolling Stoneを見たかったな。

そんでdylanの曲がBGMのセックスシーンは気持ち悪い。
特に2回目のM字開脚のシーンは、何?

久しぶりに有楽町に行ったら駅前の交差点がつぶれて丸井が建っていた。映画館はビルの4階で看板も何もなくてわかりにくかったがきれいでいい映画館だ。今度no countryをやるらしいのでまた行こう。