2008/10/13

村上春樹 「1973年のピンボール」

村上春樹の「1973年のピンボール」という文庫を買った。ついに、ムラカミの作品に手をつけた。一応、読んでおかないと。まだほんの始めしか読んでいないが、触れたことのない世界だ。意志や主張や感情がほとんど見えない、透明というか、軽やかというか、支離滅裂とさえ言えるような、不思議な文章だ。これって、パンクじゃないのか?

ムラカミは、1949年生まれだから、1973年というのは彼が24歳のときで、この作品が発表された1980年は彼が31歳のときである。若い頃の作品であるが、若いとかどうとかいう問題ではなく、私自身はもちろん、私の身の回りの人にも見たことのない、まるで異次元の世界のような、感性の違いを感じる。

たとえば、根性とか、友情とか、出世とか結婚とか、テレビのドラマや漫画とかにあるような涙とか抱擁とか、憎しみとか和解とか、そういう荒っぽいというか俗悪というか、べたべたしているというか、そういうものが全然ない。

毎日の事務的なことやケチな悩みをわすれるには、いいのかもしれない。

3連休中あちこちフラつく途中の電車の中で読了。軽い小説ではあるが、初めて彼の作品をひとつ読み通してみて、なるほど、これはひとつの特有の世界を形成していると感じた。先日読んだギャツビーを、彼が大好きなことは知っていたが、なるほど、似たような世界である。Jazz的な世界。あまり形式は重要ではなくて、メロディーさえ、アドリブの伏線にすぎないような、そういう世界。

読み終えて、いったい彼の作品の特殊さは、今まで読んできた文学との違いはなんだろうかと考えて、気づいたのが、登場人物達の魅力のなさである。
彼の作品に登場する人物達は、まるで新聞の折り込み広告のマンションの完成予想図に描かれている通行人のように、表情がなく、輪郭さえあいまいで、吐く言葉にはたいした意味も意志もない。

そういう、まるで石ころか街路樹であるかのような人間の描き方については、それはそれで新鮮で、美しいとさえいえるような世界を創り出していることは認める。

さて、私は彼の作品を気に入って次々に読むようになるだろうか?

今日、私は本屋へ行って、次に読むべき彼の作品を探しに行った。でも、どうしても買えなかった。彼が出している、小説以外の少しふざけたような本のタイトルを眺めていると、彼がどうしても好きになれないのである。

「ノルウェイの森」は、なんでかよくわからないけど大騒ぎになって、あの真っ赤と緑の表紙がどこの本屋でも平積みになっていた。ノルウェイの森・・・なんだそれと思って、立ち読みしてみると、なんだ、Norweigian Woodのことか、ビートルズの曲名それも邦題をタイトルにしていることでもう、読む気が失せた。

そして、題名のピンボールの意味を考えた。最初に「これはピンボールについての小説である」、と断っておきながら、なかなかピンボールが出てこない。出てきたのは多分、真ん中より後だ。たぶん、主人公達の生活がピンボールみたいなものだったと言いたいのではないだろうか。ピンボールというとどうしてもpinball wizardが出てくる。あれもきっと、いろんなものを象徴しているのだろう。狭い意味では音楽、大きな意味では芸術一般。芸術とはそもそも楽しいだけで何の得るものもないものだからだ。あとは、最後に台と会話なんかしてたから、女なのかな。でもそれはちょっと余りにも、という気がする。

どうやら初期の3作は三部作となっているらしいので、残りの2作をアマゾンで注文した。そして今朝、仕事にいく道すがら、「私は村上春樹が好きです」と人前で言うことは、あまりカッコのいいものではないのだ、ということがわかった。

今までは、村上春樹は読んだことがなかったので、何か聞かれても読んだことがないとしか答えようがなかった。批判すらできなかった。
しかし、1冊だけだが読んでみて、いろんな人からの評判を聞いて、だいたい彼の小説がどんなものかがわかった。今までも、話題になった人の作品を読んでみて、なるほどと思ったことは何度かある。石川達三、町田康、星川清司、平野啓一郎、綿矢りさ、大江健三郎、ガルシア・マルケス・・・

これらの人たちは、私と同時代に生きた人である。石川達三は訃報を聞いて読んだのである。私が読む本のほとんどは、過去の、それも18世紀とか19世紀とかの作品である。第二次大戦後の話が出てくると、もう最近である。

そして、そういう最近の作家、今生きているような作家の作品は、うかつに手を出せない、と思っている。私はまだまだ、文学のよしあしを冷静に判断できるほどの読解力も経験もない。だから、何がいいものかを知るために、名作・古典といわれているものを、苦労して読んできたのだ。そういう状態で、わけのわからないものを読んでしまうと、偏った感性が身についてしまうのが怖かった。村上春樹もその一人であったが、いまやノーベル賞をとるかというほどの作家になった。それで読んでみたのである。