2009/06/22

チェーホフ 「桜の園」

「桜の園」を読み始めた。


近所の古本屋で210円で買った。昭和25年初版発行、26年5刷の岩波文庫。
臨時定価四拾円とある。
「桜の園」とチェーホフの作品は、太宰を知った頃に読んだのだが、よくわからなかった。
「斜陽」が「『桜の園』だ」というので、読んだのだが、共通点が見えなかった。
まだ数ページしか読んでないのだが、わけがわからない。
これは楽しむのではなく、調査のようなつもりで読む。


太宰治 「人間失格」

生誕100周年ということで、こっちも読んだ。シラフで、じっくりと読ませてもらった。
よく考えてみると、これを読むときは自分の生活が比較的落ち着いているときが多い。
私も弱くて欲望に流されやすい性格なのだが、そういうときはこれを読まない。

もう何度も読んだし、彼がこれを書いた年齢も超えているし、
笑って読めるところもあるが、やはりこの作品には彼の並々ならぬ気合を感じる。
そしてこの作品では、自分自身と同じくらいに、彼が接してきた人たちへの
冷たい、絶望的なまでの批判が展開されている。

特に女性に対しては恨みといってもいい、ほとんどバケモノ扱いである。

「人間失格」は昭和23年の三月から五月にかけて執筆され、
雑誌の6、7、8月号に3回にわけて連載された。
自殺したのは6月13日で、第一回が発表された後である。

今までずっと、太宰が自殺したのも無理はない、
いつ死んでもおかしくない人生だったと思っていたが、
よく考えてみると、ここまで生きてきてどうして死んだのか、
わからないところもある。

彼はからだが弱く病気がちだったようだが、残された写真をみるとそんなに青白くもなく、
体格も悪くはない、健康そうな男に見える。
彼が精神的に病んでいた、という説をよく聞く。アダルトチルドレンだとか、境界性人格障害だとか・・・。
でも彼は確か胸が悪かった、あと、肋膜炎か何かになって、その鎮痛剤として使用した薬の中毒になったのであって、イタズラにクスリに溺れたのではない・・・
昭和23年には喀血もしている・・・
というのを聞くと、ただ単に「破滅型だから死んだのだ」と片付けることもできないように思う。

それから、死んだわけもわからないが、その直前の「斜陽」を書いたときに出会った太田静子という女性との関係もよくわからない。
年譜によると初めてあったのが昭和16年で、昭和22年には太宰から会いにいって1週間も滞在して日記まで借りている。
「6年ぶりに会った」という「斜陽」にあった話は、これまた事実であった。
そしてそれを即小説にしてしまう神経。
本当に、酒代のために必死で書いていたのだろうか・・・

それから山崎富栄という女。写真を見るときれいな人だが、
いろいろなところから伝え聞く彼女の発言や行動も理解しがたいものがある。

今ざっと調べたところでは、
いろいろ原因は複雑にからみあってはいるだろうが、
決定的な理由はやっぱり、結核だと思う。

「人間失格」の文章がなんだかやけっぱちで、覇気がないのは、
気力体力ともに衰えていたからだろう。
そしてそれが、それまで抑えられていた他人への批判を前面に出す結果となった。
道化を貫くことができなかった。

あとは、太田静子の謎だ。
どうして子を生ませるようなことをしたのか。
静子が子供を欲しがったのだろうか。
そうとしか思えない。太宰は周到な男だ。
きっと、静子は結婚できなくてもいいから子を産ませてなどと言ったのだ。
だから子が生まれた後は冷たくしたのだ。
恋に落ちてできてしまった、というようなものではないだろう。

静子もトミエも、太宰にとっては女中のようなものだ。
彼はまさしく色魔で・・・・・

もうやめた。寝よう。

2009/06/17

太宰治 「斜陽」

また「斜陽」を読んだ。

今日はテレビでも番組をやっていたし夕刊にも太宰ブームだとかいう記事があった。

「斜陽」には太宰自身をモデルにしたような男が二人出てくる。
上原と直治である。
上原は最低な男としてクソミソに描かれるが、
クソミソに言っているのは実際に愛人であり子供まで生んだ、「斜陽」の主人公であり語り手でもあるかずこと、
その弟という設定だがモロにそのまんまの太宰である。

今回読んでみて、上原という人物は実際の太宰よりも酷く描かれていて、
太宰だけでなく作家や芸術家全般を批判したのかもしれない。
上原は、世間が見ている太宰の姿、直治はほんとうの太宰の姿ではないだろうか。
かずこが身ごもった子供を、上原の奥さんつまり、太宰の奥さんに抱かせたいとかいう、奇妙な言葉で締めくくられているのも、そうだとするとちょっとわかるような気がする。

あんな人生を送った男なのに、最後に(2回目?)結婚した妻とは、子供ももうけて、一応死ぬまで夫婦であった。作品中にも、その他のエピソードにも、妻を信頼しているという言葉が何度か出てくる。さんざん愛人を作っておいて、と私も思っていたが、彼が妻を「愛していた」というのは本当だったのだろう。
「斜陽」では上原に対する復讐のような意味でその妻に子を抱かせるという風になっていたが、あれだけ実体験に近くて、しかも時間もついこないだというレベルであるから、妻だって誰のことだかすぐにわかるだろう。

そんな愛情表現はありえないと、普通の人なら思うだろうが、
私は今思った。
あの「子を奥さんに抱かせる」というのは、太宰の妻に対する愛情表現ではないかと。
太宰は、かずことして語り手となっている女にはあまり愛情がなかったと思う。
むしろ、流行作家だからと軽薄な動機で近づいてきたバカな女だと考えていたと思う。
少なくとも「斜陽」を読む限り、主人公の女に共感しないのはもちろん、同情の余地すらない。

「斜陽」のいいところは、6年ぶりに再会して変わり果てた上原と、惨めなカタチで結ばれ、
そのあと突然直治が自殺した、というところ。
引用される遺書と、かずこが浴びせかける上原への軽蔑の言葉。
わたしが思うにあれは遠まわしな女性批判である。
直治がつまり太宰が本当にすきだったのはスガちゃんなのである。
なんで「スガちゃん」なんだろう。
もしかしたら二人だけにはわかる暗号なのかもしれない。
そうだったらいいな。

太宰の文章には、何か違和感がある。
読みやすいのであるが、なんか足りないような、神経が行き届いてないというか、
雑というか。嘘臭いというか。
血が通っていないと言ってもいいかな。