カール・マルクス 「賃金・価格および利潤」

「賃金・価格および利潤」 カール・マルクス 長谷部文雄訳


欲しかった本を買おうとジュンク堂へ行ったのだが、一番欲しかったボルヘスの伝奇集がなかった。岩波文庫の書棚を久しぶりに眺めて、何冊か読みたいなと思うものがあったのだが、
何を思ったか、マルクスをとった。

私はオンチといっていいほど経済学に無知で、嫌いでもある。
だが、賃金、価格、利潤といったものについては、ある程度仕事をして給料をもらっている身として、また、最近の不況について猫も杓子も語るのを見ていて、いやでも考えさせられたことである。
素朴に疑問に感じていたことは、「利潤を得ることはどうして許されるか」ということであった。

私は国富論も読みかけたことがある。そして最初のほうで、「利潤とは先行投資に対する利子である」というようなことが書いてあり、いちおう納得して、最後まで読み通さなかった。

マルクスについては、簡単に言ってしまうと「共産主義という悪魔の思想を生んだ人」と考えていた。
「宗教はアヘンである」と言ったというのもきいたことがある。
一方、いわゆる「マルクシズム」というものは、マルクス本人の思想とは全く別の物だと言った、
ということもきいたことがある。

また、共産主義とはどういうものなのか、についても、話をきいたり読んだりして、
おぼろげながら知っているが、破綻し失敗に終わったと理解している。

でも、マルクスが実際にどういうことを書いていたのかは、知らなかった。
大学の教養課程で選択した授業で、「経済・哲学草稿」が教科書だったことがあるのだが、
何がいいたいのかさっぱりわからず、授業もそのうち出なくなってしまった。

さて、というわけで初めて彼の書いたまとまったものを読んでみた。
薄い本であるが、なかなかおもしろく、一気に読んでしまった。
私が一冊の本を一気に読むなんてことは、めったにない。

意外に常識的なことを述べていて、需要と供給による価格調整のことも否定しておらず、
一体何がマルクシズムなのか?と最初は思っていたが、
だんだんマルクスも興奮してきたのか、キナ臭くなってきて、
最終的には「賃金制度は廃止されるべき」などという極論を言っている。

左翼的な傾向の人の話を聞いたり本を読んだりして感じることは、「虫がいい」ということである。
サルトルを読んだときにも感じた。一見論理的で、人がなんとなく受け入れていることについて、
矛盾を指摘して合理的にスパスパと解決して小気味よいかのように感じるのだが、
どこか、「でもそんなに簡単に割り切れるだろうか?」と、さめた目で見てしまうところがある。
少なくとも、読んで心が躍り、目が開け、希望を感じることはない。

マルクスは、「資本家が労働者から搾取して不当な利益を得ている」と言った、というようなことは聞いていた。
だが、ここで重要な事がひとつわかった。
わたしも似たようなことを考えたことがある。「商品の価格には人件費も経費として含まれているのに、さらにそれに加えて利益を取るのはどういうわけか?」と。
そして、自分がそういう風に考えているのは、マルクスと同じ考えなのではないかと。
しかし、マルクスの考えは違った。
彼は、「資本家は商品の価値以上の利益を得ている」とは考えなかった。
「資本家は商品の価値を価格として設定しているが、そのために必要な労働力の対価を正当に支払っていない」
と言うのである。

つまり、私は「資本家は客からボッタくっている」と考えたのだが、
マルクスは、「資本家は労働者からボッタくっている」と考えたのだ。

なるほど、本来の価値以上の価格をつけたら消費者は買わないから、
売るためには適当な価格をつける必要がある、というのはもっともだ。
だが、これは意外であった。実際にはどう考えても価値のないものに高価格がつくからだ。
しかし、それはまた別の問題だろう。

だが、商品の価値というものは、労働と交換されるものではなくて、労働によって生み出されるものではないか。
というか、商品に付加価値をつけるのが労働であり、それだから賃金が得られるのであって、
確かに資本家は労働力によって生み出された価値のすべてを労働者に還元しないが、
それは商品を生産するために必要な材料やら工場やらを先行的に準備するのだから、
その利子と考えれば不当とは言えない。

まあ、これくらいのことなら、誰でも考えるだろう。
でも、私がいつもマルクスとか共産主義とかについて考えることは、
どうしてこんなことに人々が熱狂して、それに基づいた国家まで出現するに至ったのか、ということである。
そんなに人間は愚かだとは思えないのだ。
ヒトラーについても同じである。ユダヤ人を滅ぼすなどという考えに、どうしていい大人が、
国民が、同意してしまうのだろうか?
とても理解ができない。もっと複雑な事情、あるいは精緻な論理が絶対にあったはずなのである。

昨夜のマルクスショックは日中にも尾を引いていた。
そして、なんだか、中学から高校くらいの時期を思い出して切ないような気持ちになった。
共産主義と言えばある時代には若者がとりつかれるものであった。
若者の思想であった。

何が若者をひきつけるのだろうか。

貧しくて非力な存在が、社会をひっくり返せるような気になるからだろうか。
しかし、共産主義というのは、少なくとも今では、カッコのいいものではない。
なんだか金持ちを嫉んでいるような、自分が貧乏で無力でなんの才能もないことを告白するようなものだ。


クリストファー・ロビン

クリストファー・ロビンという登場人物をご存知だろうか。

彼はくまのプーさんにおいて、私たちを物語と現実世界のあいだに行き来させる仲介者である。

私はその挿絵とともに、強烈に覚えている。
クリストファーロビンが、くまのぬいぐるみの手だか足だかを持って、
それをひきずって階段を登っている絵である。

そのぬいぐるみがプーさんである。

あのかわいいプーさんを、クリストファーロビンはそんな風にあつかっていたのである。

そしてことあるごとに「ばっかなくまのやつ!(Silly Old Bear!)」と言うのである。

そして数々のエピソードは、おそらくクリストファーのおじいさんである作者が語る話である。



今思い出した。

私は高校生の時に女の子を部屋に連れてきたことがある。
最初で最後の事だ。

そのとき、彼女は私の本棚を見て、くまのプーさんを見つけて笑った。
「かわいい」とかなんとか言って。

そういう位置づけなのだ、くまのプーさんは。

でも、本当は、そんな「かわいい」と笑うような本ではない。


A.A.ミルン 「くまのプーさん」

iPhoneでiBooksを入れると、サンプルとして Winnie-the-Pooh がついてくる。
「くまのプーさん」である。

皆さんは、「くまのプーさん」を読んだことがあるだろうか?

私は読んだことがあるどころか、愛読書である。

初めて読んだのは小学校6年のころで、岩波少年文庫で買った。
石井桃子さんの翻訳である。

わたしはとても感動して、「プー横丁にたった家」も買った。
何度も繰り返し読んだ。

そして、学校で好きな本を紹介することになったときに、私は「くまのプーさん」を紹介した。

そのときの教室の空気は今思い出してもぞっとするくらいに、みんな引いていた。
担任の先生すら、引いていた。

「くまのプーさんなんか、幼稚園児が読む絵本だろ・・・」
みたいな声なき声が聞こえた。

しかしそれはディズニーのプーさんしか知らない人の考えだ。
もともとのプーさんは、おもしろおかしいクマの滑稽話などではない。

悲しい話のオンパレードである。

たとえば。

イーヨーというロバがいるのだが、その誕生日にプーとコブタ(Piglet)がプレゼントをすることになった。
プーはハチミツの入ったツボを、コブタは風船をプレゼントに選んだ。


しかし、プーは途中でハチミツを全部なめてしまい、コブタは転んで風船を割ってしまう。

プーは空っぽの壷を、コブタは割れた風船をイーヨーに渡す。

するとイーヨーは、割れた風船を壷に入れ、またそれを出して喜ぶのである。

涙なしに読めるか!?



映画 「ボヘミアンラプソディ」

私はクイーンが嫌いでiPodの中にも1曲も入っていないし、 今までレコードやCDもほとんど聴いたことがない。 ベスト盤か何かを借りたことはあったかもしれないが、 まったく興味を持てなかった。 彼らの曲はテレビCMその他で嫌というほど聞かされていて、 ボヘミアンラプソディ...