2011/04/24

夏目漱石 「我輩は猫である」

やっと読み終わった。果たして一体この小説を全部読んだ日本人が何人いるだろうか?少なくとも中学生や高校生が読むような、読めるような本ではない。オトナの本である。私は半分くらい読んだときに、この小説に漱石のすべてがあり、これが漱石の最高傑作であると思った。


猫が語り手になっており、猫自体の行動や意見なども描かれるのだが、終盤は猫はほとんど登場せず、クシャミとその家族や友人達の会話が延々と続くようになる。そして最後、クシャミが本音に近いようなことを述べた後、猫はビールを飲んで水の入ったカメに落ちて死んでしまう。

夏目漱石は非常に律儀な、科学者のような人で、客観的な第三者が描写するようなことができず、猫という語り手を必要としたのではないか。その猫はこの作品中で死ぬ。そして彼は他の小説家と同じように、神のような視点をもった何者かに描写させるようになったのである。


2011/04/19

リービングラスベガス

ニコラスケイジが逮捕されたというニュースに関して「リアルリービングラスベガスだ」などと言っているのを読んで、借りて観てみた。
映画をみるのは久しぶりだ。

始まると字幕が出なかった。アレと思って字幕を出すように設定しながら、「字幕なしで見てみようか」と思ったがやっぱりそれはキツかったので、英語字幕をだしてみた。これならなんとかついていける。

さて映画自体はどうということもなかった。ニコラスケイジはこの作品で主演男優賞を総なめにしたそうだが。

こういう破滅ものを描くときには、必ず冷静で中立的な人物が必要だ。そしてその人物に破滅する人物を描かせるのである。主人公自体が破滅してしまうと、見るほうがつらすぎるのだ。
この映画では相手の女性まで引きずり込まれて救いようがなくなっている。

自伝であるという事実、そして後に死んだとはいえ、この作品を書きあげた時にはまだ生きていた、
酒びたりになって仕事もなくしてヤケになっている男に、どんな事情があったとしても惚れる女などいるだろうか。酒びたりになって娼婦と恋に落ちて死んでゆく、そんな話から何を感じろというのだろう。

映画を見た後、映画そのものはどうでもよかったが原作者の実際の人生の方が気になって仕事の合間に調べてみたが、「映画化決定直後に自殺した」ということが映画の枕詞のように言われているだけで、作者の人生そのものに焦点を当てて語っている人は見つからなかった。

2011/04/11

プラトン 「メノン」

徳は教えられうるか。

ほとんど、「教えられない」と言っているような感じだが結論は出ない。
マイケルサンデルを見ているようだ。
まあ、サンデルがマネしてるんだろうけど。