2011/12/17

キェルケゴール 「死に至る病」

キェルケゴールの「死に至る病」というのは、この自己について書かれた本である。

テーマである「死に至る病」というのは「絶望」のことである。

この本は聖書をある程度読んでいないと理解不能である。少なくとも福音書を読んで、『なんだかよくわからないな』くらいの感想を持っていないと読めないだろう。この書物を難解だという人をよくみかけるのだが、難解なのではない。キリスト教や聖書を除外して哲学書として読むから読めないのである。キェルケゴール自身、これが哲学でも説教でもない中途半端なものであると断り書きをしている。

さて、「絶望」であるが、キェルケゴールのいう絶望とは、「自己が自己であろうとしないこと」である。自分が自分自身でないものになろうとすること。そして、キリスト教でいう「罪」とはそれだと言うのである。

さらに絶望にも段階があって、自己嫌悪のような簡単なものに始まって「悪魔の強情」ともいえるような「高度」なものであり、絶望できることはある意味優れた人間であるとも言えるなどと言っている。

だがやはり絶望は絶望であり、それを解決できるのは信仰しかない、というのである。

要するに「死に至る病」は「哲学を捨てて信仰しましょう」という話である。

優れた哲学者は、みんなこう言う。ソクラテスしかり、カントしかり、ヘーゲルしかり。「哲学によって真理を明らかにすることは不可能である」ということを理解するのが哲学のゴールである。

私が初めて「死に至る病」を読んだのは高校3年生の春である。みんながいよいよ本格的に受験勉強を始める頃である。私はどうしてもその気になれず、というか大学に行く理由も見つからず行きたい学部もなくぼーっとしていた時にこれを読み、2回ほど読み、何か悟ったような気になった。

「自己を見つめすぎてはいけない」というのとほとんど同じようなのだが、安易に自己から目をそらすのではないということ、わたしはこの頃にほとんど信仰を持ったと言ってもよい。