2012/10/24

サミュエル・ハンチントン 「文明の衝突と21世紀の日本」

「文明の衝突と21世紀の日本」
集英社新書

サミュエル・ハンチントン、鈴木主税訳


魔の山で使った読書法で、小説以外にもつかえるかなと思い、しばらく前に古本屋で買って読まずにいたこの本を読んだ。
「ハンチントン」という変わった名前と「文明の衝突」というわかりやすい言葉に興味を持って、「後でちょっと読んでみよう」と思いメモした記憶があるが、それから10年以上が過ぎていた。
ただしこの本は「文明の衝突」と、講演などからのいわばダイジェスト版である。
「魔の山」にくらべればこの本を読むのはハイキングのようなものだ。



この本では、「文明」という、歴史の教科書で最初の方にしか出てこない概念が国家間の対立や協調で重要になっているということを主張している。
それは、イデオロギーの対立であった冷戦の終結によって現れた現象であるという。
私は「国」というものを考えるときに、「政治体制」と「民族」くらいしか考えない。
日本は民主主義の単一民族、アメリカは民主主義の多民族、中国は共産主義の多民族、とか。
「宗教」というものは、社会に影響をあたえてはいるだろうがそれほど決定的ではないと考えていた。
ハンチントンは、「文明」というくくりをもってきた。「文明」というのは文化でも宗教でもないが、それらを含む。
私は共産主義はまだ死んでいないと思うのだが、ハンチントンはもう滅んだとみなしている。



彼の言う文明とは、「西欧、東方正教会、中華、日本、イスラム、ヒンドゥー、ラテンアメリカ」である。

意外というか新鮮だと感じたのは、「東方正教会」というくくりと、「日本」というくくりである。
東方正教会に含まれる主な国はロシアとギリシア(?)である。日本人からすると同じ「キリスト教」にくくられるように思うが、ルネサンスや宗教改革などの影響がない点で大きく違うそうだ。「プロテスタントとカトリック」というくくりでもない。それが、「宗教」「民族」というくくりでなく、「文明」というくくりの新しさである。

「日本」を、独自の文明としている。「儒教文明」「仏教文明」「東アジア」などのいずれのくくりでもなく、「日本文明」という独自の文明で、日本は孤立した国であるというのである。「ガラパゴス」のような揶揄された区別ではなく、むしろひとつの独立した文明として敬意をもって見られている。

西欧文明の中核国はもちろんアメリカである。「アメリカが冷戦後世界を一極支配している」という見方は誤りであると言う。アメリカは超大国ではあるが世界を支配などしておらず、他国からは脅威とともに敵意を持たれている。

ハンチントンが強調したもうひとつの点は、イスラムの復活である。イスラムが好戦的なのは人口爆発により若者の比率が高くなっていることが理由のひとつであるという。

日本はこれまで、日英同盟、三国軍事同盟、日米安保と、つねに当時の強大国に追随(bandwagoning)してきており、中国がさらに力を増せば中国に追従することも考えられるという。


「日本文明」か・・・。

そんなたいそうなものだろうか、日本とは。
日本文明は極めて排他的で宗教やイデオロギーをともなわないため、他の社会に伝達するものもなくしたがって交流も持つことができず孤立しているのだという。

それはいいとか悪いとかではなく、そのような特殊な文明であるとして、ハンチントンは認めているようだ。
私は日本という国に対する誇りはほとんどなく、その独自性はすべて欠点だとみなしてしまうところがあるのだが、本書を読んでもしかして日本は歴史上まれにみる高度な文明をもった国なのかという気にさせられた。


でも、この文明の分類の中でも、「国」として見ても、もっとも進歩し成熟し理想的な社会を築いているのはアメリカと日本だといってもいいのではないだろうか?

「宗教もイデオロギーもない」という、日本文明のとっている立場が、もしかして人間の目指すべき姿なのではないか?と考えたくもなる。

私は日本ではなくアメリカが人類の理想だと思っている。
そして、二つの国には共通点がある。

それは、「神の国」であるということである

これは非常に危険な発言である。大統領や総理大臣が発言したら辞任するか戦争になりかねない。

でも、私はかなり前から、本気でそう思っている。
「神」という概念は古今東西、人々が持っている。その解釈の違いが宗派や文化や文明を生んで対立の火種にもなった。

私は、「神」という概念を肯定している。それは迷信でも民衆支配の道具でもなく、あきらかに存在しており、人はそれなしに生きていけない。多種多様な宗教と宗派における、「神」の解釈の違いというのは、受け入れるべき多様性ではなく、この神が正しくあの神が間違っているということでもなく、この神もあの神も尊いということでもなく、神は唯一であり、神の認識の正しさ、そして神に対する態度のとり方がもっとも適切なのが、アメリカと日本である、と考えているのだ。

日本には、「天皇」という存在がある。これはかつては「神」であったし、今でもほとんど「神」に近いのだが、建前はそうでなくなった。そしてそのことによって、日本はアメリカと同盟した。これは、実質上同じ神を共有したのである。一般的にはそこまでは認められていない。アメリカ人はキリスト教を信仰しており、聖書を読み、イエスを神あるいは神の子と信じている。日本人は聖書を読まない。イエスは一人の人間であると考え、その実在を疑う人さえいる。

だが、「神」という概念はイスラム教とキリスト教で違うのはもちろん、同じ宗派でも、同じ教会で並んで祈っている人でさえ異なるだろう。日本人は仏教徒だとか無宗教だとか多神教だとかいうが、その生活態度はある絶対的な善を信仰しているとしか思えないものがある。


本書を読んで、その考えを新たにした。
まあ、極論というか、妄想みたいなものである。
もちろん公に発言できることではない・・・。