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新約聖書を読む (20) ヤコブの手紙

直弟子の手紙である。

宛名は「離散している十二部族の人へ」である。

パウロは復活したイエスしか知らない。

ヤコブは十字架に付く前のイエスと、最後は見捨てたにしても、行動を共にした弟子である。
その言葉は重い。

パウロと正反対ともとれるような事を言っている。
「人が義とされるのは、行いによるのであって、信仰によるのではない。」

パウロは律法と信仰をならべて語った。律法とは、「行い」と言ってもよいだろう。

パウロの手紙を読んでいると、信仰さえあれば行いはいらない、いくら「善行」を積んでも、信仰がなければ救われない、「善行」がなくても信仰があれば救われる、という気になる。

でも、現代の日本人から見れば、ほとんどの人がヤコブの言っている事の方が正しいと思うだろう。

つまり、信じているだけでは意味がなく、行動で示すことが大事だと。

アブラハムがイサクをささげたことを、パウロは「信仰」であると言い、ヤコブは「行い」であると言った。

言いたいことは同じなのかもしれないが、信仰していることを示すには行いが必要である。でも、なんの信仰もないのに形式的に行動してもそれは意味がないだろう。


これは微妙な問題だが、私はやはり「信仰」が重要だと考える。

信じなければ行えないのは確かだし、行わなければ信じているかどうかはわからないのも確かだが、やっぱり、信じているかどうか、罪を自覚しているかどうか、そこが重要なのだ。