「戦争と平和」 (17) エピローグ 第二編

エピローグの第二編はすべて、トルストイの演説というか論説というか、歴史についてのムズカシイ話である。エピローグ第一編で「物語」は終わっていた。

このようなトルストイの論説文のようなものは、第三巻あたりからちょくちょくはさまれ、四巻ではだいぶ量が増えていたのだがいい足りなかったらしく、エピローグの一編を使って語られている。

彼は歴史の描き方に疑問を呈する。ほとんど、今まで書かれた歴史というものを全否定するかのような言い分である。特に、「偉人」とか「英雄」と呼ばれる人が歴史を先導して人々を動かしていったかのような歴史の叙述法を否定している。

それが、ナポレオンの描き方に現れている。ただ、彼はロシア人であるからロシア側からの視点で描かれているし、特に後半ではナポレオンに対する個人的な嫌悪感のようなものも混ざっているように感じた。

私は学校の授業で習うような歴史も、NHKの大河ドラマのようなものも、司馬遼太郎の小説などの「歴史もの」も、興味がなく、反感すら覚える。それはトルストイが言うような「いわゆる偉人に大きな意義を認めない」という立場に似ている。明治維新でも、秀吉の天下統一でも、第二次大戦でもなんでも、坂本竜馬だとか、ヒトラーだとか、スターリンだとか、チャーチル、ルーズベルトなどの一部の人間が将棋でもさす様に人々を動かし、大衆は何も知らずそれらのリーダーに導かれるままに生きていた、というような歴史の描写には疑問を抱く。


アンドレイ公爵とかニコライ・ロストフなどは架空の人物であるが、実際にそのような人々は存在しただろう。彼らは貴族で、裕福で教育もあって、優秀な人物も、ナポレオンなどよりよっぽど頭脳明晰で人格者な人間もいたであろう。それはあのときのロシアに限らず、日本だって、北朝鮮だってそうだろう。そういう人々ですら、歴史の記録には名前さえ出てこない。

「戦争と平和」では、一般的な歴史の叙述法をひっくり返したような描き方がされる。つまり、名も無き一兵士、一人の女、少年、などを中心に描かれ、ナポレオンはなんら特別の人間でもなく、噂ばかりが先行しているただの平凡な男にすぎない。

ただ、忘れそうになるがピエールは伯爵、アンドレイは公爵、ニコライ・ロストフも伯爵、現在の日本で4300万円相当の借金を親に肩代わりさせるような生活を送っている人々のことである。当時のロシアの公爵というものがどれほどのものなのかわからないが、「ごく平凡な一人の男」ではないだろう。


ところで、この作品は私が今まで読んだことのない「調和」、「平穏さ」を感じたのだが、それを実現させているのは「数学的」なものではないかと思った。それを思ったのは、「付録」のなかにある「はらの中で、アメリカへ行ったりすきな数学上の問題に移ったりできる」と書いているのを読んだときだ。作中にも、「歴史を微分する」というようなことがしばしば言われたり、父が娘のマリヤに数学の問題を解かせる、などというところもある。トルストイ自身がそういうことをしていたのではないだろうか?彼は数学が好きで得意だったのではないだろうか?それが彼の文体に調和を生み、明晰な印象を与えるのではないだろうか?


大作であったが、意外に読みやすかった。時間を測りながら読んでいたのだが約47.6時間かかった。

この作品中、もっとも魅力のある2人の人物、ニコライ・ロストフとマリヤは、トルストイの両親がモデルだというのを解説で知って、納得した。






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