2018/12/18

シン・ゴジラ

話題になって気にはなったが結局映画館では見なかったが、
テレビをつけたらたまたまやっていたので観た。

「庵野秀明の映画」と思っていたが、
監督は二人クレジットされていて、庵野秀明が「総監督」、
樋口真嗣という人が監督・特技監督となっている。

しかし脚本、編集も担当しているし、「総」がついているくらいだから、
庵野氏の映画と受け取っても差し支えないだろう。

テレビをつけて、すぐにその映像に引き込まれた。
ゴジラそのものよりも、ゴジラが現れたときの政府の対応やニュースの放映の仕方などが
非常にリアルだったからだ。

しかし、見続けているうちに違和感というか、嫌悪感に近いものを感じ始めた。

この映画は日本アカデミー賞を受賞するなど評価は高く興行成績もよかったようだが、
批判というか、悪口も目にすることが多かった。

私の感じた嫌悪感は、エヴァンゲリオンを見たときに感じたのと同じようなものだった。

エヴァンゲリオンも興味を持って観たのだが、なんというか、根本的なもの、訴えかけるもの、テーマというか、作り手の表現したいこと、総合的なことに対して、拒絶反応が出る。

まず感じたことは、「大人の男性が描けない」ということである。

エヴァンゲリオンのときも、大人の男性は感情がなく、表情がなく、当然彼らに対する共感を感じられない。

大人は主人公やその周囲の人物にとっての障害物のように、ゴジラが壊す街の建造物のように描かれる。

大人が描けないというのはエヴァンゲリオンでも感じたことだが、本作について不満を感じたのは大人についてだけではなかった。

登場する人物達が、大がかりなプロジェクトに参加しているスタッフにしか見えない。

セリフも説明的で、それぞれが人間として実在している感じがない。

実在する地名、日本政府、自衛隊、省庁、そいういったものが「リアル」に描かれるのだが、CGよりももっと現実感がない。

私は官公庁や自衛隊の内情を知らない。おそらく本作は入念な取材や各方面の協力を得たのだろうが、こんなに指揮命令系統がきれいなピラミッドを形成していて、一致団結しているのだろうか?

そして、そうあるべきだろうか?

クライマックスでゴジラに対して、無人の爆撃機を大量に投入したり爆弾を積んだ電車に突入させたりする場面には寒気を覚えた。

この映画にはユーモアが皆無だ。感情に訴える場面もない。

自衛隊がゴジラに対して攻撃する際に、一つ一つの攻撃について、末端から上部に伺いをたてて防衛大臣と思われる女がひとつひとつ総理大臣の承認を得る場面が繰り返されるが実際にはそんなことはないだろう。

あえてこのようなことを描いたのは、戦闘に参加した自衛隊員たちに攻撃の意思はなく、あくまでも国を守るため、総理大臣の命令で攻撃したのだという責任転嫁をしているように見えてならない。

結局、ゴジラに対して核兵器を使用すべきという他国からの要望があるなか、なんとか核を使用せずにゴジラを眠らせることに成功する。

ゴジラというのはもともと核兵器が原因で生まれた怪獣という設定だった。

その怪獣を核兵器で倒すという皮肉。

そのほうがおもしろいと思うけど