2011/11/11

アナログレコードとCDの比較

結論を言おう。アナログレコードの方が優れている。私は今日、レコードとCDの違いについてWEBで検索してみたところ、「CDの方が音質がよい」という意見が多数を占めていた。私には意外な結果であった。「CDは特定の周波数をカットしているので音に深みがない」というような事を複数の人から聞いていたからだ。それを語っていたのはミュージシャンや音楽愛好家の人達で、一人については直接話を聞いて、CDとレコードなんか比較にならない、聴けばすぐわかる、ということであった。私は毎日暇さえあれば音楽を聴いているが、音源はCDもしくはMP3である。MP3についてはCDよりさらに音質は低いと聞く。

CDとレコードの「音質」について語られることは主に二つあって、「情報量の多さ」と「雑音のなさ」である。レコードは磨り減って劣化するというのはまた別のハナシなのでそれは除外する。どちらが情報量が多いのか、ということについてはわたしはずっとレコードだと思っていたのだがそう簡単に言い切れないようである。いろんな話をきいていると、どうやら情報量の多さではCDの方が優れているという印象を持った。しかし、私はミュージシャンや音楽愛好家が「レコードの方がいい」と語る口調の強さの方がどうしても信用できる。「温かみがある」「深みがある」などというあいまいな表現をされていて、CD派の人々は思い込みにすぎないと批判するところである。少し理屈をつけると「CDは人間の可聴範囲を超える音をカットしているがそれが味わいや深みを消す」などということになるようだが、これも真実かどうか怪しい。実際CDとレコードの音を聴かせて区別できない人も多いそうである。

しかし、私は1時間程の通勤時間内でレコードの方が優れているという結論の根拠を見出した。これは、以前別の話で述べた「形式と内容」に関わることである。周波数とかサンプリングとかいうのは形式の話である。おそらく形式ですぐれるのはCDなのであろう。しかし、この形式上の優位が、音楽を録音・再生するということにはマイナスに作用するのである。形式上優位であり、生音の成分を忠実に保存・再生できるということは、演奏者にとって楽であるが、形式上不利な録音システムを利用する場合、録音によって失われることを考慮して、演奏者や録音技師達が工夫する。たとえばボーカルと演奏の音量の比率とか、ボーカルの声の出し方そのものとか、マイクの位置とか、演奏する場所が室内なのか屋外なのか演奏に適した音響設備の整ったホールなのか・・・そのように録音のために工夫し調整することがたくさんあるのがレコードすなわちアナログ録音である。一方CDすなわちデジタル録音はそのような工夫の必要はなく、スタジオで気軽に録音できる。多少ノイズが入っても機械的に処理して消すことができる。これである。私はデジタルとアナログの一番決定的な違いは、音の加工が可能であることではないかと思う。それは、「微妙な音が消える」「自然な音でなくなる」ということもあるが、それにもまして「演奏者の工夫と緊張を奪う」ということが重要ではないかと思うのだ。

その貴重な証人の一人がレス・ポール氏である。これはデジタルとアナログの違いではないのだが、演奏家でありエンジニアでもあったレス・ポール氏は多重録音装置を発明した。それ以前の録音で多重録音をするには、たとえば最初にバッキングを録音したら、そのテープを再生しながらボーカルが歌ったものを録音していた。だから、ボーカルが失敗したり、飛行機が飛んできたりしたらバッキングからやり直していたのである。レスポール氏は複数の録音を「トラック」に分けて、ボーカルが失敗したらボーカルだけ取り直せばすむようにした。ところが、この画期的なシステムを発明してからヒット曲が出なくなったそうなのである。私はこれも、便利な多重録音システムが演奏者の緊張を奪った結果だと思う。アナログレコードの録音から感じる「味わい」「深み」とかいうものは聴き手の思い込みなどよりも、録音技術が演奏家に与えた影響による気合の変化の結果なのである。これは録音装置の技術とは無関係のようであるが、これほど確実に与える影響もない。こう考えると、すべてに説明がつく。CDが含む周波数帯域の方が広いのにレコードの方がよく聴こえる理由、CDとレコードの音を聴き比べても区別できない理由。昔レコードで発売された古いアルバムがCD化されてそれを聴き比べたらおそらく区別は難しいだろう。演奏家に与える影響が変わらないからである。

私自身も、音楽を作ったことがある。最初に使用したのはカセットテープを使用する4トラックのアナログMTRである。音量は針が動くメーターで表示され、ボリュームやパンの調整は丸いツマミを回すことでおこなう。このときに作ったものは傑作が多い。ところが、その後MTRも高機能小型化がすすみ、カセットテープは使用せずにSDカードなどに録音するようになった。表示や操作は針やつまみではなく数値とボタンでおこなう。またギターのエフェクタやドラムマシンなどが内臓され、録音可能なトラック数も32だとか、飛躍的に増加した。私はいい時代になったものだと感心して新しいMTRを買ってみたのだが、どうもいいモノができない。カセットMTRの場合、録音した後再生するには当然巻き戻しが必要である。演奏が終わって録音を止めてテープを巻き戻す時間。これはメンドクサイことではあるが、「今の演奏はよかったんじゃないかな・・・あそこが失敗だったかな・・・」などと反省する時間でもあったしワクワクする時間でもあった。だがデジタル録音の場合は巻き戻しなどせずに録音が終わったらすぐ再生できるし、消すのも一瞬である。カットアンドペーストのような操作も簡単にできる。だが、そのような便利さは作品の本質には関係ないどころか悪影響を与えるのである。

以上述べてきたことは、アナログレコードとCDの過渡期の人間ならではの事である。最初からデジタル録音しかしたことのない演奏家には影響のないことだ。むしろ、録音のために余計な苦労をしなくてすむことで、演奏に専念ができるようになる。私は新しい技術を否定するのではない。不毛な努力はことごとく廃することに大賛成である。しかし、技術はあくまでも技術、形式であって、それにおぼれると本質が失われるのである。技術は簡単に進歩するが本質の進歩に近道はない。だから優れた芸術家は新しい技術を軽蔑するのであり、それが正しいのである。