斬、を観に行ったときにも観ただろうか?ボヘミアンラプソディを観た時の予告編を観て、これは絶対に観に行こうと決めた。
主人公の女性がレディガガであることは観にいこうと決めてから知った。
監督であり副主人公の俳優であるブラッドリークーパーのことは全く知らない。
この映画がリメイクであることは観終わってから知った。
全体的に時代が不明な雰囲気なのも、リメイクだからだろうか。
youtubeが出てきたり小道具などから一応現代の設定であることはわかるが、
ほとんど時代を超越した物語である。
観る前はもっと単純なサクセスストーリーでハッピーエンドなのかと思っていた。
そういうものを期待してもいたが、悲しい結末であった。
レディガガのことはもちろん知っていたが、まともに彼女の曲を聴いたことはない。
しかし映画を観て、彼女の歌だけでなく存在感のようなもののすごさに圧倒された。
映画が終わってデビューアルバムを買ってみた。
ブリトニースピアーズの後期のような無機質な曲ばかりでなかなか受け付けなかったが
次第に彼女のよさがわかってきた。
映画もそうなのだが、彼女は古風なのである。
古風なんて言葉はほとんど死後だが、オーソドックス、もっというとまともな大人、
常識人、そういうもの。
顔だちも子供みたいなカワイイものではなく、面長で、
声もネコみたいに黄色いものではなく腹から出る女性にしてはやや太い声。
2018/12/28
2018/12/18
シン・ゴジラ
話題になって気にはなったが結局映画館では見なかったが、
テレビをつけたらたまたまやっていたので観た。
「庵野秀明の映画」と思っていたが、
しかし脚本、編集も担当しているし、「総」がついているくらいだから、
庵野氏の映画と受け取っても差し支えないだろう。
テレビをつけて、すぐにその映像に引き込まれた。
ゴジラそのものよりも、ゴジラが現れたときの政府の対応やニュースの放映の仕方などが
非常にリアルだったからだ。
しかし、見続けているうちに違和感というか、嫌悪感に近いものを感じ始めた。
この映画は日本アカデミー賞を受賞するなど評価は高く興行成績もよかったようだが、
批判というか、悪口も目にすることが多かった。
私の感じた嫌悪感は、エヴァンゲリオンを見たときに感じたのと同じようなものだった。
エヴァンゲリオンも興味を持って観たのだが、なんというか、根本的なもの、訴えかけるもの、テーマというか、作り手の表現したいこと、総合的なことに対して、拒絶反応が出る。
まず感じたことは、「大人の男性が描けない」ということである。
エヴァンゲリオンのときも、大人の男性は感情がなく、表情がなく、当然彼らに対する共感を感じられない。
大人は主人公やその周囲の人物にとっての障害物のように、ゴジラが壊す街の建造物のように描かれる。
大人が描けないというのはエヴァンゲリオンでも感じたことだが、本作について不満を感じたのは大人についてだけではなかった。
登場する人物達が、大がかりなプロジェクトに参加しているスタッフにしか見えない。
セリフも説明的で、それぞれが人間として実在している感じがない。
実在する地名、日本政府、自衛隊、省庁、そいういったものが「リアル」に描かれるのだが、CGよりももっと現実感がない。
私は官公庁や自衛隊の内情を知らない。おそらく本作は入念な取材や各方面の協力を得たのだろうが、こんなに指揮命令系統がきれいなピラミッドを形成していて、一致団結しているのだろうか?
そして、そうあるべきだろうか?
クライマックスでゴジラに対して、無人の爆撃機を大量に投入したり爆弾を積んだ電車に突入させたりする場面には寒気を覚えた。
この映画にはユーモアが皆無だ。感情に訴える場面もない。
自衛隊がゴジラに対して攻撃する際に、一つ一つの攻撃について、末端から上部に伺いをたてて防衛大臣と思われる女がひとつひとつ総理大臣の承認を得る場面が繰り返されるが実際にはそんなことはないだろう。
あえてこのようなことを描いたのは、戦闘に参加した自衛隊員たちに攻撃の意思はなく、あくまでも国を守るため、総理大臣の命令で攻撃したのだという責任転嫁をしているように見えてならない。
結局、ゴジラに対して核兵器を使用すべきという他国からの要望があるなか、なんとか核を使用せずにゴジラを眠らせることに成功する。
ゴジラというのはもともと核兵器が原因で生まれた怪獣という設定だった。
その怪獣を核兵器で倒すという皮肉。
そのほうがおもしろいと思うけど
テレビをつけたらたまたまやっていたので観た。
「庵野秀明の映画」と思っていたが、
監督は二人クレジットされていて、庵野秀明が「総監督」、
樋口真嗣という人が監督・特技監督となっている。しかし脚本、編集も担当しているし、「総」がついているくらいだから、
庵野氏の映画と受け取っても差し支えないだろう。
テレビをつけて、すぐにその映像に引き込まれた。
ゴジラそのものよりも、ゴジラが現れたときの政府の対応やニュースの放映の仕方などが
非常にリアルだったからだ。
しかし、見続けているうちに違和感というか、嫌悪感に近いものを感じ始めた。
この映画は日本アカデミー賞を受賞するなど評価は高く興行成績もよかったようだが、
批判というか、悪口も目にすることが多かった。
私の感じた嫌悪感は、エヴァンゲリオンを見たときに感じたのと同じようなものだった。
エヴァンゲリオンも興味を持って観たのだが、なんというか、根本的なもの、訴えかけるもの、テーマというか、作り手の表現したいこと、総合的なことに対して、拒絶反応が出る。
まず感じたことは、「大人の男性が描けない」ということである。
エヴァンゲリオンのときも、大人の男性は感情がなく、表情がなく、当然彼らに対する共感を感じられない。
大人は主人公やその周囲の人物にとっての障害物のように、ゴジラが壊す街の建造物のように描かれる。
大人が描けないというのはエヴァンゲリオンでも感じたことだが、本作について不満を感じたのは大人についてだけではなかった。
登場する人物達が、大がかりなプロジェクトに参加しているスタッフにしか見えない。
セリフも説明的で、それぞれが人間として実在している感じがない。
実在する地名、日本政府、自衛隊、省庁、そいういったものが「リアル」に描かれるのだが、CGよりももっと現実感がない。
私は官公庁や自衛隊の内情を知らない。おそらく本作は入念な取材や各方面の協力を得たのだろうが、こんなに指揮命令系統がきれいなピラミッドを形成していて、一致団結しているのだろうか?
そして、そうあるべきだろうか?
クライマックスでゴジラに対して、無人の爆撃機を大量に投入したり爆弾を積んだ電車に突入させたりする場面には寒気を覚えた。
この映画にはユーモアが皆無だ。感情に訴える場面もない。
自衛隊がゴジラに対して攻撃する際に、一つ一つの攻撃について、末端から上部に伺いをたてて防衛大臣と思われる女がひとつひとつ総理大臣の承認を得る場面が繰り返されるが実際にはそんなことはないだろう。
あえてこのようなことを描いたのは、戦闘に参加した自衛隊員たちに攻撃の意思はなく、あくまでも国を守るため、総理大臣の命令で攻撃したのだという責任転嫁をしているように見えてならない。
結局、ゴジラに対して核兵器を使用すべきという他国からの要望があるなか、なんとか核を使用せずにゴジラを眠らせることに成功する。
ゴジラというのはもともと核兵器が原因で生まれた怪獣という設定だった。
その怪獣を核兵器で倒すという皮肉。
そのほうがおもしろいと思うけど
2018/12/08
映画 「ボヘミアンラプソディ」
私はクイーンが嫌いでiPodの中にも1曲も入っていないし、
今までレコードやCDもほとんど聴いたことがない。
ベスト盤か何かを借りたことはあったかもしれないが、
まったく興味を持てなかった。
彼らの曲はテレビCMその他で嫌というほど聞かされていて、
ボヘミアンラプソディも何度も聴いたことがあるが、
もうウンザリしている。
しかし、映画が非常に評判がよく、だれもが絶賛しているので、
観にいってきた。
この映画のクライマックスはライブエイドのステージをほぼそのまま再現したシーンであるが、
そこで歌うボヘミアンラプソディで涙が止まらない。
この映画は単なる伝記ではなく、事実がかなり脚色されていて劇的になっている。
ライブエイドのステージ前にクイーンは解散状態、フレディは当時は不治の病であるエイズに感染してることを告白し、体調はおもわしくなく余命も限られている。
ステージの前に家族にあって、特に母と言葉を交わす。
その後に歌うボヘミアンラプソディは歌詞の意味が今まで聴いていたときとは全く
違った意味に聞こえ、フレディの遺言のようだった。
しかし実際はフレディがエイズ感染を知ったのはライブエイドのあとで、
クイーンも人気が絶頂期ではなかったものの解散状態などではなかったそうだ。
映画が終わった帰り道にiTunes Storeで A night at the operaを買った。
今までレコードやCDもほとんど聴いたことがない。
ベスト盤か何かを借りたことはあったかもしれないが、
まったく興味を持てなかった。
彼らの曲はテレビCMその他で嫌というほど聞かされていて、
ボヘミアンラプソディも何度も聴いたことがあるが、
もうウンザリしている。
しかし、映画が非常に評判がよく、だれもが絶賛しているので、
観にいってきた。
この映画のクライマックスはライブエイドのステージをほぼそのまま再現したシーンであるが、
そこで歌うボヘミアンラプソディで涙が止まらない。
この映画は単なる伝記ではなく、事実がかなり脚色されていて劇的になっている。
ライブエイドのステージ前にクイーンは解散状態、フレディは当時は不治の病であるエイズに感染してることを告白し、体調はおもわしくなく余命も限られている。
ステージの前に家族にあって、特に母と言葉を交わす。
その後に歌うボヘミアンラプソディは歌詞の意味が今まで聴いていたときとは全く
違った意味に聞こえ、フレディの遺言のようだった。
しかし実際はフレディがエイズ感染を知ったのはライブエイドのあとで、
クイーンも人気が絶頂期ではなかったものの解散状態などではなかったそうだ。
映画が終わった帰り道にiTunes Storeで A night at the operaを買った。
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