2021/09/18

松本人志の映画について

松本人志の映画についてあらためて考えた。

私はテレビで松本人志が出ているワイドナショーと酒のツマミになる話を毎週楽しみに見ている。

彼は漫才から始まってコント、フリートーク、MCと様々な役割をこなしてデビューしてからもう40年くらいになるのだろうか、いまだに第一線で活躍している。

ごっつええ感じで「2014」というタイトルのコントがあった。

漫才コンビが年を取って落ちぶれた時を想定したコントである。たぶん1994年に作られたと思う、20年後の話ということになる。

しかし実際の2014年ごろのダウンタウンは落ちぶれるどころか人気絶頂の地位を維持したままであり、それから7年経った今でも衰えるところを知らない。

松本が映画を撮ったのは2007, 2009, 2011, 2013年の4回である。

いずれも話題になって私もすべて映画館で観たが、評判は芳しくなく、私もやや、作品によってはかなり、期待外れだった。


最初の監督作品の大日本人の時から、彼の映画については疑問視する声が多かった。どうしても北野武と比較され、どう見ても彼は武にはかなわなかった。


松本が映画を撮らなくなって8年経った。彼は自分の映画について一切語ることをしない。あれはこういう意図だったとか、評価は低いが自分では満足している、などということも言わない。


先日、酒のツマミになる話で、好きな映画を聞かれたとき大衆受けしているような映画であっても恥ずかしがらずに好きだというべきだ、みたいな話になった。

その時、松本人志がかつて映画を撮ったことがあるのはなかったことにしているかのように、誰も松本が映画を撮ったことに触れなかった。

松本人志自身も、あくまで一般人と同じ鑑賞者としてその話題に参加していた。


私は松本人志のファンであり、彼の映画について批判的な話を聞くのはつらい。

だが、彼の映画を批判する一般人の、どこの誰かもわからない人のブログやネットニュースのような記事を読むと、つらいだけでなく、その批判に対して疑問を感じることがある。


この人は松本の映画を駄作だと言っているが、いったいどういう映画を傑作としているのだろうか?

大体が松本はテレビのお笑いには向いているが映画には向いていない、というようなことを言う。

ほとんどの人が、私は松本のファンや信者だが、この映画の出来には納得できない、という言い方をしている。


そこで私が思ったのは、もしかしてこの人たちはテレビのお笑い番組ばかり見ていて映画なんかほとんど見ていないんじゃないか?ということだ。


観ているのは、となりのトトロとか、ロッキーとか、ターミネーターとかマトリックスとか、マッドマックスとかワイルドスピードメガマックスとか、エイリアンとか、そんなのなんじゃないのか?


武が映画監督をすると聞いたとき、松本人志がしたようにちょっとふざけたというか、型破りな、形式すらぶち壊すようなものを撮るのかと思ったらごく正当というか本格的な映画だったので驚いたのだが、それは武が異常だったのであって、お笑い芸人が映画を撮るとなったら松本人志みたいになるのがむしろ普通なのではないだろうか。


武と松本を映画を撮るということについて比較するとその違いは、テレビ番組に出演することに対する姿勢が大きいと思う。

武が映画を撮り始めたころ、それよりも少し前から、武はテレビ番組に出演することに興味を失っているように見えた。いや、漫才をやらなくなったころから、武はテレビはくだらないと思いながらずっと流してやっているように見えた。

そしてテレビでは満たされない自分の表現欲求を映画で思う存分充たしたように見えた。

いっぽう松本人志は楽しそうにテレビ番組に出演してノリにのっている時期に映画を撮り始めた。そして映画はテレビの延長というか、テレビで成功したことを映画にも応用させようとしたように見えた。もちろん彼はテレビでやったことをそのまま映画にはできないことをわかっていて、なんとか映画ならではのものを表現しようと考えたのであろうが、表現したいものがありその手段として映画を選んだというよりも、映画を撮るということが先にあって、映画という素敵な箱があって、そこに何かをいれた、という感じがした。


松本人志のファンが映画館で観て失望したのは、彼ら自身だったのではないだろうか。そこで見たものは、自分がいつも自宅で寝転がって何かを食べたり飲んだりしながら何も考えずつまらない日常をなんとかまぎらわそうと、若いころから自分を慰めるように観ていたものだったのではないか?

映画館という大きな、自分のプライベートな世界の外側で、ややかしこまった場所で、周囲にデートしているカップルや友達同士で来ている人たちの中で、家でテレビを観るときのように松本人志を観た時の違和感にたまらなくなったのではないだろうか?


2021/07/31

志賀直哉 「暗夜行路」

志賀直哉は私の好きな作家の一人なのだが、 暗夜行路は読むのが苦痛だった。 何度か読もうとして挫折したが、今回は何とか読み通した。 文体は飾り気がなくて素朴で読みやすく、時代の違いもあまり感じさせない。 志賀直哉は夏目漱石の弟子のような人で、 暗夜行路は夏目漱石に新聞に連載することをすすめられて書き始めたそうである。 しかし書き手も難航して連載は辞退し、なんども中断して20年以上かけてやっと完成したらしい。 

なんでつまらないのだろうか。

まず、主人公が経験していることや感じていることが劇的でもなければ共感することもない。 わざとらしいオハナシではなく現実を描いたものだということなのだろうが、 言いにくいことを思い切って告白したとか人が見ようとしない世界に切り込んだというわけでもない。 

この作品は傑作とされているようで、 だから私も読まねばなるまいと思っていたのだが、 読んでみても傑作である所以はよくわからなかった。 虫とか小動物などの描写がうまい。 これは他の短編でも感じたことである。 あとがきに「一回毎に多少の山とか謎とかを持たせるような書き方は中々出来なかった」とある。 これは夏目漱石が「新聞の続物故豆腐のぶつ切れは困る」という注意があったために意識したことらしい。 

夏目漱石の代表作もだいたい新聞連載である。 私は漱石の作品はめぼしいものは大体読んだが、連載一回分と思われる区切り(章というのか?)とごに、 山とか謎を持たせて読者の興味を引くようなテクニックがあるとは感じなかった。 感じさせないように自然に書けるのが漱石のすごさなのか、もしかして本当に意識せずに「山」や「謎」ができていたのかわからないが、志賀直哉はそこに苦労したと自ら言っていて、私が読むのが苦痛だったのもそれがうまくいっていなかったためではないかと思う。 

終盤のほうで満州とか朝鮮の話が出てくる。 それらについての主人公の態度や感じ方がなんだか横柄というか無神経に感じた。 子供が生まれて間もなく亡くなるシーンもあったが、それについても拾った犬が死んでしまった程度の反応に見えた。 

当時の日本人はきっとみなこのような感じ方、暮らし方をしていたのではないだろうか。 人間の見方、結婚とか仕事とか商売に対する考え方があまりに軽く、不用意というか、軽率というか、 そんな風に感じた。 安らぎや感動を感じるのは人間関係から逃れて自然に触れたときでしかなく、 人間関係において何かを乗り越えたりなにかが育まれるとか克服するとか、 そういうものが見られない。 半島や大陸進出が結局失敗して戦争で大敗することになったのは、 当時の人たちが皆暗夜行路の主人公のような人々だからだったのではないか、などということを感じさえした。

2021/05/15

The Shawshank Redemption(「ショーシャンクの空に」)

 この映画のタイトルは聞いたことがあって、あまりおおっぴらにすすめられるような映画ではないが隠れた名作みたいなものだと思っていた。

刑務所が舞台で、確かに暴力や同性愛や不正行為など、暗い内容を扱っている映画ではあった。

でも思ったよりポピュラーというか、よく言えばストーリーに起伏があっておもしろい、悪く言うと俗悪だった。

原作はスティーブン・キングだということを後で知った。

シャイニングの原作も彼だが、なんか、「原作 スティーブン・キング」というだけで観る気が半減する。

モーガン・フリーマンの名前は知っていたし顔の写真だけはよく見ていたが、

彼が演じている映画を観たのは初めてだ....と思ったら「セブン」に出ていたのか。

「ダークナイト」にも。


英語字幕で観たので、セリフの聞き取りが完全ではなくちゃんと理解できていないところは多々あったと思う。

面白くて一気に観たが、観た後にいろいろ考えさせられるような映画ではなかった。


2021/03/15

山本周五郎 「青べか物語」

 新潮文庫

昭和39年8月10日発行

昭和56年4月25日二十八刷


山本周五郎を初めて読んだのは、黒澤明のどですかでんを観て感動し、その原作が山本周五郎の「季節のない街」だというのを知った時だった。


この本を読んだのは、そういえばアレ読みたいなと思ったからなのだがアレというのは季節のない街と青べか物語がごっちゃになっていた。


青べかを読み始めてしばらくして、あれ?あの話がないな、こんな話あったっけ、

と思い、インターネットでしらべて「青べか」と「季節のない街」が別の作品であることを思い出した。


だが、やっぱりこの二つの作品はよく似ていて、どちらも好きだ。


青べかは今回全部読んだが、多分全部読んだのは初めてだ。


物悲しい、憐れというか哀れというか、愚かな人々の、愚かな行動が綴られているが、

人間って、こういうものだったよな、もともと、という感じがした。



2021/02/23

西城秀樹 「あなたと愛のために」

 ふと、西城秀樹の「ブーメランストリート」が聴きたくなった。

聴きたくなったというか、頭の中に流れ出した。


少し前に、西城秀樹の70年代シングル盤集みたいなものを買ってあったので聴き始めた。

西城秀樹は子供の頃カッコいいなと思っていた歌手だが、ブーメランストリートが発表されたころにリアルタイムで聴いていたかは微妙だ。

聴きながら、どの辺から聴いているかなと探していき、ブルースカイブルーは確実に覚えている、炎も覚えている、その少し前のブーツを脱いで朝食をは、どうだったかな、と、

その間に挟まれて「あなたと愛のために」というタイトルがある(wikipediaを見ていた)。


あれ、どんな曲だっけ、と聴いてみると、イントロでポポポポーンというかピュピュピュピューンみたいな電子ドラム音が流れて、あ、これ俺が好きだった奴だ!と思い出した。


聴いていると、おぼえてはいなかったのだが、自分が一言一句聞き漏らさずにメロディーも全部かじりつくように聴いた曲であったのがわかった。

作曲は大野克夫。


小学校低学年の頃は西城秀樹が好きだったが、3年生くらいから沢田研二の方が好きになっていった。

大野克夫は沢田研二のヒット曲をたくさん書いている。


西城秀樹は沢田研二よりも清潔で好青年なイメージがあって、沢田研二の方が人生の悲哀や男女間の機微みたいなものを表現するのに似合っていた。

だから沢田研二の方が売れていて、西城秀樹はいい歌手ではあったが、人気絶頂で天下を取ったみたいにまではならなかった。


まあ、だからどうだということもなく、それはそれで、沢田研二も西城秀樹も素晴らしい歌手であるのは間違いない。


ちなみに尾崎豊は絶対に西城秀樹に影響を受けていてマネをしているといってもいいと思うのだがそういう話はきいたことがない。



2021/01/11

2020年にレコードプレイヤーを買った

 私が初めてレコードプレイヤーを買ったのは高校生の時、198x年だ。

そして初めて買ったレコードはサザンオールスターズの「ヌードマン」である。

週に1回くらい、近所の歌詞レコード屋へ行って、1回に3枚くらい借りて、カセットテープにダビングし、歌詞カードをコピーしていた。


それからレコードがCDに置き換わったのは2、3年くらいのうちだったと思う。

CDで聴くのが当たり前になった頃に、たしか1995年ごろ、職場の人と雑談していたときに、アナログレコードとCDの音の違いについて話したときに、まあまあ音楽に詳しく演奏家でもある人が、比較にならない(くらいレコードの方がよい)と言っていた。


私の聴く音楽はいわゆるポップスやロックなどなので、そんなに音質にこだわらないからいいか、と、そういう話も聞き流していた。


それから音楽を聴く媒体はCDからMP3に変わっていった。MP3になると、ビットレートにもよるがさすがに音質の劣化を感じ始めた。


「音が悪い」というと、私にとっては「クリアでない」「雑音が多い」「曇ったような、こもったような感じ」「小さい」という感じが多いのだが、MP3の音質の悪さというのはそういうことではなく、キメが粗いというか、画像にたとえると解像度が低いというか、ザルですくったような感じというか、自然現象では経験しない、なんとも気持ち悪い感じだ。


そういう気持ち悪さは、「CDやMP3はデジタル化しているので微妙な周波数がカットされている」というような話を聞いたからそういう風に思い込んでいるというのもあるかもしれない。


iPhoneを使うようになって、音楽はイヤホンをして外で聴くものになった。家にいるときに音楽を聴くことがほとんどなくなった。


そして聴く音楽は若いころ聴いた古いものばかりで、クラシックやジャズなどは聴かなくなっていった。

1枚のアルバムをじっくり聴くことが減り、ほとんどなくなり、何かするときにBGMとしてシャッフルで流しておくことが増えた。


自分の好きなアルバム、アーティストの最高傑作は何か、などを考えていた時に気づいたのが、そういうときに選ばれたものはほとんど、アナログレコードで聴いたものだということだった。



さて、レコードプレイヤーを買って聴いてみた感じはどうだったか。

スピーカーがパソコンで使うような小さなものだったりするのだが、


最初に感じたのは、「鉛筆で書いた絵のようだ」という感じだった。


針を落としたときに「プチ」っといったり、細かいノイズは聞こえる。


レコードに触ったり傷つけたりしないように気を使うしひっくり返すのも面倒くさい。


でも、音楽を聴くというのは、それくらいの手間をかけて当然ではないだろうか。


そもそも、レコードさえ、演奏の録音であって、録音など音楽ではないというミュージシャンの意見も聞く。


レコードで聴いていると、いつもiPhoneでイヤホンをして聴いている音楽が退屈で物足りなくなってくる。


人間の声より、バイオリンとかサックスとかピアノの音が聴きたくなる。