2020/04/14

「異邦人」 アルベール・カミュ

L'Étranger

1942年。

カミュ29歳の時。

新潮文庫 窪田啓作訳
平成12年5月30日 107刷


高校生の時に読んだのだが、ほとんど内容を覚えていなかった。

この小説は「ペスト」よりももっとはっきりと無神論が表れていて、主人公が処刑される前に「司祭」に食ってかかるシーンがある。

ただ、カミュの文章からは、作者の何かに対する不満とか怒りとか疑問とか、そういうものが、いい意味で見えてこず、抑えられている。

初めて読んだ高校生の頃は、作者も主人公も無神論者というよりはニヒリストで、神も愛も何も感じないような人なのだろうと思って読んだような覚えがある。

特に感動も感心もなく、この作品の何がよいのだろうと思ったくらいだったような。

今読んでみると、ニヒリストではない。もっと透明で、むしろこれこそが本当の普通の人間の感じ方であり生き方ではないかと思うくらいだ。

特に日本人には欧米の小説や映画などに出てくるキリスト教や神のことを理解できない。

この小説の主人公が神を信じないと言ったり母の葬式の翌日に海水浴にいって喜劇映画を見て女と寝るくらいのことをしたからといって、人でなしだとまでは思わない。

今回読んでみて、この主人公があまりに自分の行為について弁解しなさすぎなのはちょっと普通じゃないな、と感じた。

殺した行為自体は最近言われるようないわゆる「動機なき殺人」のようなものでは決してなく、ほとんど偶然といっていい事情に巻き込まれてやむを得ずしでかしたものである。

それを「太陽のせいだ」と言ったのは、深い意味があるのではなく、皮肉でもない。


「ペスト」もわからなかったが、本作も、どうしてこのようなシチュエーションを描こうと思ったのか?

作者の意図はなんだったのだろうか?


本作の舞台も現アルジェリアの町である。

アルジェはアフリカ大陸にあるが地中海に面していて、夏でもそんなに酷暑というほどの気候でもないようである。

一つ一つの文が非常に短く、あっさりしていて、乾燥した明るい印象である。

平凡な日常に対し警告するとか疑問を呈するとかいうたぐいの話ではない。

むしろ逆で、平凡なごく普通の人の暮らしこそが大事だといいたいように感じる。

母が死んだという文から始まるが、主人公はそのことをなんとも感じていないかのような話に見えるが、見方を変えると母の死の衝撃で自暴自棄になった男の話ととらえることもできる。

この小説は不条理どうこうとか無神論とかいうことよりも、母を失った若い男の悲しみを描いた話ではないのか。

正当防衛だとしても弾丸を5発も撃ち込んでしまったのは、太陽のせいなどではなく、母の死のせいではなかったのか。

2020/04/10

「ペスト」 アルベール・カミュ 

1947年発表
宮崎嶺雄訳
新潮文庫 昭和44年発行、平成17年66刷

194x年、オランで起きたペスト流行の話。
まるでドキュメンタリーのような文章だが、そのような事実はない。

ペストは今までに何度か世界各地で流行している。
一番有名なのは14世紀のヨーロッパでの流行だろうか。

1947年に書かれていて「194x年」なので、つまり、「もし今ペストが流行したら...」という設定である。

舞台となるオランという街は、とくに特徴のない平凡な街のように書かれているが、調べてみるとアルジェリア、つまりアフリカ大陸にある街だった。

本作発表当時はオランはフランスの植民地であった。
1954年からアルジェリア独立戦争が始まり、1962年からアルジェリア領となった。

なぜオランを舞台にしたのか、何か意図があるのだろうかと疑問に思ったのだが、
カミュは現在のアルジェリアで生まれ育っていた。

「異邦人」の舞台であるアルジェはアルジェリアの首都である。


コロナウィルスが流行して本作が話題になったニュースを見た。
本作の存在は知ってはいたが読んだこともないしどんな小説なのかもまったく知らなかった。

外出できないこともないが、なんだか面倒くさくてずっと家にいるので、映画を見たりしていたがこんなときだから読書するのがいい機会だと思っていろいろ読んでみていたのだがどれもなかなか読めなかったのだが、ペストは現在の状況もあってようやく読めた一冊だった。

連日、主にネットでコロナウィルスに関する話題でもちきりなので、
「ペスト」を読みはじめたときには、「疫病に立ち向かう人々の感動の物語」みたいなものととらえようとしていた。


ほんの序盤を、ベッドに寝転がりながら本当に少しずつ読んでいたのだが、
最初に書いたようなこの作品が書かれた背景を知ると、読み方をまったく変えなければならないと思った。

本作は、現在のような状況あるいはそのあとで書かれたものではない。
1947年といえば大戦が終わったばかりであるが、作品中に戦争があったことやその影響などを感じる記述は全くないといってよい。

ごく平凡な時代のどこにでもある平凡な街に起きた事件とその事件にまきこまれたごく普通の人々を描いているのである。

架空の話であるから、まずわいた疑問はなぜ作者はペストの流行という設定を思いつきそれを選んだのかということだった。

おそらく、なにかの象徴なのだろう。

「ペストに立ち向かう人々の感動の物語」なんてもののはずはない、
なんせ作者はカミュだぞ?不条理のカミュ、太陽がまぶしいから人を殺したという殺人犯の話を描くような... と思いながら読んでいった。

文体は客観的でノンフィクションのようであり登場人物の感情もそんなに激しいものは描かれないのだが、
意外に、愛とか友情とか正義のようなものが前面に出てくる場面もあった。

イエズス会士の神父が登場して、ペストは神がもたらした災厄であるというような説教をする場面が出てくる。

この作品において神、教会、神父、キリスト教というのはまったく無力でなんの権威もない虚しいものとして、反感を感じるものでしかないような描き方をされ、神父がペストに感染して死ぬところが詳しく描写される。

カミュは共産党に入党したこともあり、基本的に無神論者的立場の人のようで、本作中でも主人公(医師のリウー)が神を否定するような発言をする。

ただし無神論といっても厳密なものではなく、一般的になんとなく言われている神とか宗教的な行事とかそういうものを否定しているだけであって、造物主や自然法則などなく人間はただ偶然に生まれた存在にすぎないというような虚無的な考えでもないように思う。

この小説は今のような本当に疫病が蔓延している状況で生き抜くための参考にするようなものではない。

むしろ、ペストのようなものはもっと普遍的で常時蔓延しているのであって、疫病はその象徴でしかない。