ボブディランがノーベル文学賞を取った。
ノーベル賞と言えば数年前から毎年村上春樹がとるのではと言われ続けてきてとれず、
事前予想なんかあてにならない、村上春樹なんか候補にもなってないんじゃないかと
思っていたら、ディランも候補だという話まで出てきて、イヤイヤ、それはないだろ、
と笑っていた。
もしディランがノーベル賞をとってしまったらちょっとイヤだなあ、と思っていた。
ディランの受賞には疑問を呈する人もいるようだ。
だが、それは「文学じゃない」ということが論点になっているようだ。
だが、ディランは詩人でありそれは文学であることは論ずるまでもない。
彼はほとんどの作品の詩を自分で書いている。
ディランがノーベル賞をとったことを知ったのはtwitterでであったが、
自分の大好きなディラン、30年くらい人生をともに歩んできたかのような存在であるディラン、
自分の友達、家族のような存在の人だが、受賞のニュースを聞いたときにはストレートには喜べなかった。
それは複雑な思いがあって、まず、ボブディランという人のことを本当にわかっているのか?
というのがある。
彼のことを語る人に、ボブディランという名前は知っていても、お前はアルバムを一枚でも全部聞いたことがあるのか、歌詞を読んだことがあるのか、と言いたくなる。
私は高校生のときに聴き始めたのだが、歌詞は知らない単語を辞書で引きながら読んだ。
ディランは詩がいいとは言われるが、私には英語でも、歌の歌詞でも、それがいいか悪いかを評価できる自信はない。
ただ、アイラブユー、死んでもお前を離さない、お前に夢中だ、などというアホみたいな歌詞ではない、というのはわかった。その程度だ。
さらに、ノーベル文学賞をとった作家の作品も、ほとんど読んだことがない。
日本人の川端康成と大江健三郎、あとはトーマスマンくらいか。もちろん翻訳で。
特に2000年代に受賞している作家はほとんど、名前も聞いたことがないような人ばかりだ。
私は小説も読まないことはないが、どの作家が優れているなどと判断することができるほどではない。
ボブディランについては、ロックにしては、大衆音楽にしては小難しいことを言っているが実は中身がない、ただのひねくれもの程度なんじゃないかと思っていたが、
ノーベル賞を取ったと聞いて、本当にすごい人だったんだな、とちょっと驚いている。
私にはふさわしいとかふさわしくないとかは言えない。
ただ、またディランが遠くなり、好きでもないのに知りもしないのにディランがディランがという人が増えるのが嫌だ。
2016/10/16
2016/08/13
ゴーストバスターズ(1984)
もう30年以上も前に公開された映画。
当時私は高校生で、この映画は非常に話題になり、主題歌もヒットしたのでよく覚えているが、ちゃんと観たことがない。
最後にマシュマロマンというのが登場することは知っていたのだが、その登場経緯を観た友人が説明してくれたのだが、いまひとつよくわからなかったので、それを確認したくなった。
ビルマーレイは別に好きでもないのだが、この映画ではカッコよかった。
ゴーストの退治と捕獲、それを保管するしくみが説明されるが、それはデタラメなのであろうが、なんとなく納得できる。
ニューヨークにたくさんゴーストが現れるようになったのにもちゃんと理由があって、その説明もなかなかうまくできている。
さて、問題のマシュマロマンの登場の経緯であるが、
バスターズの彼らは実績がないため解雇はされたがもと大学で研究をしていた科学者である。
彼らなりの理論と測定結果から、巨大なゴーストが現れることを予測していた。
そして、その大きさを説明するときに、たまたま目の前にあったカステラのようなお菓子にたとえて、現在のニューヨークの心霊エネルギーがこれくらいだとすると10メートルのカステラ(twinky)が現れることになる、と説明した。
これが伏線になっている。
伏線というのは物語の伏線であるだけでなく、マシュマロマンを登場させる一因にもなっている。
ゴーザとかいう邪悪な霊がニューヨークに現れて町を破壊しようとする。
バスターズはそれに立ち向かうのだが、ゴーザが「破壊者の形を選べ」と命令する。
バスターズは、頭を空っぽにして破壊者を登場させまいとするが、一人がつい頭の中に思い浮かべてしまったのが、マシュマロマンであった。
彼曰くなるべく無害なものを想像したとのことだが、明らかに以前聞いた巨大なtwinkyのことが頭に残っていたのだろう。
マシュマロマンというキャラクターはゴーストバスターズで有名になったが、
アメリカでは昔からある有名なキャラクターなのではないか?
かくしてかわいい巨大なマシュマロマンが登場した。
しかし、かわいくても破壊者ではあるので、怖い顔になって町を壊そうとする。
バスターズはイチかバチか、危険なためおこなってはならないとされている武器の使用法を使って、マシュマロマンを退治する。
当時私は高校生で、この映画は非常に話題になり、主題歌もヒットしたのでよく覚えているが、ちゃんと観たことがない。
最後にマシュマロマンというのが登場することは知っていたのだが、その登場経緯を観た友人が説明してくれたのだが、いまひとつよくわからなかったので、それを確認したくなった。
ビルマーレイは別に好きでもないのだが、この映画ではカッコよかった。
ゴーストの退治と捕獲、それを保管するしくみが説明されるが、それはデタラメなのであろうが、なんとなく納得できる。
ニューヨークにたくさんゴーストが現れるようになったのにもちゃんと理由があって、その説明もなかなかうまくできている。
さて、問題のマシュマロマンの登場の経緯であるが、
バスターズの彼らは実績がないため解雇はされたがもと大学で研究をしていた科学者である。
彼らなりの理論と測定結果から、巨大なゴーストが現れることを予測していた。
そして、その大きさを説明するときに、たまたま目の前にあったカステラのようなお菓子にたとえて、現在のニューヨークの心霊エネルギーがこれくらいだとすると10メートルのカステラ(twinky)が現れることになる、と説明した。
これが伏線になっている。
伏線というのは物語の伏線であるだけでなく、マシュマロマンを登場させる一因にもなっている。
ゴーザとかいう邪悪な霊がニューヨークに現れて町を破壊しようとする。
バスターズはそれに立ち向かうのだが、ゴーザが「破壊者の形を選べ」と命令する。
バスターズは、頭を空っぽにして破壊者を登場させまいとするが、一人がつい頭の中に思い浮かべてしまったのが、マシュマロマンであった。
彼曰くなるべく無害なものを想像したとのことだが、明らかに以前聞いた巨大なtwinkyのことが頭に残っていたのだろう。
マシュマロマンというキャラクターはゴーストバスターズで有名になったが、
アメリカでは昔からある有名なキャラクターなのではないか?
かくしてかわいい巨大なマシュマロマンが登場した。
しかし、かわいくても破壊者ではあるので、怖い顔になって町を壊そうとする。
バスターズはイチかバチか、危険なためおこなってはならないとされている武器の使用法を使って、マシュマロマンを退治する。
2016/03/21
映画「野火」 塚本晋也監督
塚本監督を知ったのは「鉄男」を観たときだ。
2も見たかな。
映像としては斬新だなとは思ったが、一本の映画としてはそんなにいいものだとは思わなかった。
ふーん、なるほどね、という感じだ。
彼はその後も何本か映画を撮って、大々的に宣伝はされず小規模に上映されるが、ちょっとした賞をとったりして、すっかり大御所になった感がある。
「野火」を撮ったときいたとき、もしかしてつまらない「反戦映画」を撮るようになってしまったのかと心配したが、まったくの杞憂だった。
大岡昇平の野火という小説があることは知っていたが、読もうという気にはならなかった。
「戦争」をテーマにしている時点で、反戦を主張しているに違いないと思ったからだ。
序盤で、東南アジアのどこか、原作ではフィリピンのようだがおそらくそのあたり、のジャングルの美しい緑のなかを薄汚い監督自身が演じる主人公の兵隊がうろつくシーンが続く。
冒頭で上官に怒られて病院へ行ったり来たりするところなどは、クローズアップが多くて、
特に主人公の顔が画面真ん中にドーンと映されることが多くて、少し煩わしく感じた。
だんだん眠くなってきた。
塚本監督だし、けっこう話題になっているのにこの上映規模の小ささからすると残酷だったりグロテスクだったりするシーンがあるのだろうとは思っていたが、
そういうものがあるどころか、ずばり残酷でグロテスクなそのものがテーマだった。
そしてそれは「戦争」ではない。
もちろん、戦争を描いているし、戦争があったからあのような状況があって、人間も狂ったというか、そういう状況に対応するには狂ったとしか言えないような行動をとらざるを得なかったのだろう。
何のシーンだったか忘れたが、ちょっとドキっとするシーンで目がさめ、後半はのめりこんだ。
戦争の話はいろいろ聞いて、残酷なこと、狂気、人が人でなくなることなどがあったということは想像もできるが、この映画で表現されたものはあまりに異様で、本当にこんなことがあったのか、誇張しすぎなのではないか、少なくとも原作でも本当にこのようなことが描かれていたのだろうか、誇張であってほしい、とさえ思った。
テーマになっている「残酷でグロテスクなもの」というのは、人間の肉を食うことである。
戦争で飢餓の極限に達したら人肉を食うこともあり得るだろうとは思うし、実際にそういう話を聞いたこともある。
だがそれはあくまでもほかに食うものがないから仕方なく、であって、そもそも人肉など食べたいとも思わないのが人間である。と、思う。
しかしこの映画では、まるで人肉を食うことが禁断の果実であるかのように描かれる。
ラストでは、戦地で奇妙な主従関係をもった若い兵士がその「主人」を殺してすぐに肉を食らうという壮絶なシーンが描かれる。
その食い方は、ライオンがシマウマを襲って食うような食い方だ。
いくら戦争時に人肉食があったとしても、そんな風には食わなかったのではないかと思う。
そして、戦地から戻った主人公が、人肉食に魅せられてしまったことを示唆するシーンで映画は終わる。
やっぱり塚本晋也はちょっとイカれてるなと思った。
上映後のトークショーで実物を見たが、気さくでユーモアもあるかわいいおっさんだったが。
2も見たかな。
映像としては斬新だなとは思ったが、一本の映画としてはそんなにいいものだとは思わなかった。
ふーん、なるほどね、という感じだ。
彼はその後も何本か映画を撮って、大々的に宣伝はされず小規模に上映されるが、ちょっとした賞をとったりして、すっかり大御所になった感がある。
「野火」を撮ったときいたとき、もしかしてつまらない「反戦映画」を撮るようになってしまったのかと心配したが、まったくの杞憂だった。
大岡昇平の野火という小説があることは知っていたが、読もうという気にはならなかった。
「戦争」をテーマにしている時点で、反戦を主張しているに違いないと思ったからだ。
序盤で、東南アジアのどこか、原作ではフィリピンのようだがおそらくそのあたり、のジャングルの美しい緑のなかを薄汚い監督自身が演じる主人公の兵隊がうろつくシーンが続く。
冒頭で上官に怒られて病院へ行ったり来たりするところなどは、クローズアップが多くて、
特に主人公の顔が画面真ん中にドーンと映されることが多くて、少し煩わしく感じた。
だんだん眠くなってきた。
塚本監督だし、けっこう話題になっているのにこの上映規模の小ささからすると残酷だったりグロテスクだったりするシーンがあるのだろうとは思っていたが、
そういうものがあるどころか、ずばり残酷でグロテスクなそのものがテーマだった。
そしてそれは「戦争」ではない。
もちろん、戦争を描いているし、戦争があったからあのような状況があって、人間も狂ったというか、そういう状況に対応するには狂ったとしか言えないような行動をとらざるを得なかったのだろう。
何のシーンだったか忘れたが、ちょっとドキっとするシーンで目がさめ、後半はのめりこんだ。
戦争の話はいろいろ聞いて、残酷なこと、狂気、人が人でなくなることなどがあったということは想像もできるが、この映画で表現されたものはあまりに異様で、本当にこんなことがあったのか、誇張しすぎなのではないか、少なくとも原作でも本当にこのようなことが描かれていたのだろうか、誇張であってほしい、とさえ思った。
テーマになっている「残酷でグロテスクなもの」というのは、人間の肉を食うことである。
戦争で飢餓の極限に達したら人肉を食うこともあり得るだろうとは思うし、実際にそういう話を聞いたこともある。
だがそれはあくまでもほかに食うものがないから仕方なく、であって、そもそも人肉など食べたいとも思わないのが人間である。と、思う。
しかしこの映画では、まるで人肉を食うことが禁断の果実であるかのように描かれる。
ラストでは、戦地で奇妙な主従関係をもった若い兵士がその「主人」を殺してすぐに肉を食らうという壮絶なシーンが描かれる。
その食い方は、ライオンがシマウマを襲って食うような食い方だ。
いくら戦争時に人肉食があったとしても、そんな風には食わなかったのではないかと思う。
そして、戦地から戻った主人公が、人肉食に魅せられてしまったことを示唆するシーンで映画は終わる。
やっぱり塚本晋也はちょっとイカれてるなと思った。
上映後のトークショーで実物を見たが、気さくでユーモアもあるかわいいおっさんだったが。
2016/03/04
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