2006/06/18

ツルゲーネフ 「ルーヂン」

次は「ルージン」。
前に一回読みかけて中断していた。
ツルゲーネフは実はフェイバリットの一人である。
「父と子」、「初恋」。
「ルージン」は、「父と子」に出ていたニヒリスト(名前なんだったっけ)のような悪役ではなく、善良で頭の切れる男のようだ。

でもきっと、こういう主人公は小説には向かないんだと思う。
小説の主人公は激情家で酒飲みで多淫で不真面目な奴でないといけないのだろう。
アリョーシャみたいなのは、主人公にはなれない。

ルージンもドストエフスキーでよくやるサロンでの議論がでてくるんだけど、ドストエフスキーの時はこいつ誰だっけ、何でここにいるんだっけ、ってなるんだけど、ツルゲーネフではそんなことはない。

「ルーヂン」、とあえて書き直そう、読了。
このとき、ツルゲーネフが私の中の作家殿堂入りした。
ルーヂンは作家の、芸術家の、象徴であり、戒めである。
結局、作家は罪深い人種である、美辞麗句を弄して、リソウばかり述べて、女一人口説けない情けない奴は結局犬死の運命だ、と。
でも、そんなはずはない、という一言が、きっと真理なのだ。
ルーヂンとはまさに今の俺、でも、俺は犬死しないよ。

なんで猟人日記が絶版なんだろう