2011/10/29

仁義なき戦い

初めて見る。もちろんこの映画のことは知っていたけど、あまり見る気になれなかった。
ヤクザ映画は嫌いではないのだけど、それはあくまでもちょっと破綻しているような、支離滅裂なモノに限る。

ツタヤに行くと、10本くらいかな、たくさんある。
このようにシリーズ化されていることも敬遠していた理由の一つである。
当然、一番最初のを見た。

いきなり原爆投下のきのこ雲がスチールで映され、赤い字でデカデカと「仁義なき戦い」のタイトルが出て、
もう陳腐にさえなってしまったあの「テレレーテレレー」の音楽がかかるところは、カッコよかった。

最初のシーンは終戦直後、米兵に女が強姦されそうになって主人公が助け、MPが来る、などというシーンから始まるのだがうるさいし動きが激しすぎるしこれは誰だとか字幕がバンバンでるのが忙しくて見る気をなくしかける。

そして竜二に出ていた岩尾正隆が殺されるシーンで一段落する。
この殺人で主人公は刑務所に入るのである。

基本的に画面はきれいで、変に気取ってもいず、かといって退屈だったりすることもない。 

10人くらいいる部屋で話し合いのようなことをしているシーンがちょくちょくあるが、このときにそれぞれ好き勝手な方を向いていたり話を聞いているのかいないのかわからないような感じはよかった。

クロサワ映画だと全員が話し手の方をみていちいちうなずいたり反応するところである。

この映画から借用したと思われるシーンがいくつかあった。 

まずは、ビールを注がれて飲んだときに「これは馬のションベンか?ビールならもっと冷やいのもってこい」
というシーン。
これは「リングにかけろ」で剣崎が、菊がもってきたアイスティーを飲んで言うセリフとほぼ同じである。

もう一つは、主人公が死んだ兄貴分の住まいを訪れ、女がいるところに別の知っている男がやってきて鉢合わせるという、竜二と直であったようなシーン。

セリフは広島弁なので、何を言っているのかよくわからないところがある。 
が、好きな人はこの広島弁のセリフがいいらしい。

見ながらwikipediaなどでこの映画のことを調べた。

誤解していたことが一つある。
これは飯干晃一が書いた本が原作になっている。
私はこの本を、よくわからない作家がカネのために部外者のくせに極道について適当なことを書いたもので、ロクなもんじゃないだろうと思っていたのだが、
主人公が獄中でつづった手記があって、それが週刊誌に掲載され、その解説をする形で飯干晃一がかかわったようである。

だから、この話はホンモノの極道の話なのである。
しかし、けっこうヤクザ達は弱虫だったり卑怯だったりする。
「仁義がない」というのは無慈悲であるというよりも、卑怯である、という意味のようだ。


・・・というようなことを、調べたり考えたりしながら見たので、
まだちゃんと見れていない。

菅原文太、梅宮辰夫、松形弘樹など、「若いなー」と思ったりするのが先にきてしまい、
映画そのものを見ることができなかった。

また落ち着いたら見直してみたい。

そうそう、ひとつだけ。 

主人公の能美(だっけ?)は、透明な性格である。熱すぎず、賢すぎず、馬鹿でもなく、非人間的でもない。
ごく常識人だと言っても過言ではない。

それを取り巻く変わり者達。

これはいい小説や映画ができやすいパターンである。