2023/09/11

読書しながら別のことを考えてしまう件

私はよくある。というか、ほぼ100%そうなる。

仕事で必要な資料を読む時などにはならないのだが、趣味というか余暇というか、特に必要のない小説を読むときにそうなる。

自分で好きで読んでいるのになんでそれに没頭できず余計なことを考えてしまうのか。そして、別のことを考えているのになぜ読み続けているのか。これが不思議なことである。間違いなく私はその本を読んで文字を追いページをめくってもいる。しかし頭の中では別のことを考えている。自分が過去に経験したこととか、誰かに言われた言葉を反芻してその真意を考えてみたり、その言葉によって感情を刺激されて怒ったり滅入ったり恥ずかしくなったりさえする。それは読んでいる小説そのものではないのだが間違いなくその小説を読むことによって生じる現象である。

そういう人がいないかなと思ってWEBで検索してみるとけっこういるようだが、そのことに対して否定的なコメントがついており、「どうすれば読書中に余計なことを考えないようにできるか」みたいなことを書いている人もいる。

集中力がないのだとか、読書する環境が悪いのだとか、いろいろ言われている。

私は読書中に別のことを考えながら文字だけ追っている、という状態も全く意味がないこともないように思っている。先ほど書いたように、その状態は間違いなく読書することによって起きている現象であり、何もしないで椅子に座っていたりベッドに横たわっているときに何かを思い出しているのとはまた異なる状態である。

こうなってしまうのは性格や意志の問題と考えてもどうにもならない。もっと明確な理由がある。それは単純に、読んでいる言葉の意味が分からないからだ。小説を読むときに皆さんはわからない言葉があったら辞書を引くだろうか?私は引かない。読めない漢字があってもとばして読み進む。地名や人名などの固有名詞が出てきたときにそれについて調べることもしない。それでも読める本はあるが、時代や地理が自分のすごしているのと異なる場合、つまり海外の古典文学を読む場合などに、それが積み重なっていくと曖昧な概念で頭がいっぱいになり、作者が意図したイメージと読み手である私の持つイメージが全く異なるものとなり、いつしか字面を追うものの内容が把握できなくなり、気づいた時にはその情景がどこなのかこのセリフを語っているのが誰なのかどうしてそのような事態になっているのかなどがわからなくなっている。

あと、私は注釈がついていてもまず読まない。面倒くさいから。でも、読めない本については注釈も読んだ方がよい。注釈がついているのはだいたい翻訳もので訳者注のことが多い。私は訳者注について、その注釈の内容に疑問を感じることも多い。要は、あまり信用していない。ときどき、作者がなぜこんなことを書いたのかという意図まで説明していることがあるが余計なことを書くなと思う。しかし「読めない」場合は注釈に目を通した方がよい。

前に戻って読み直して理解できることもあるが、少し戻ってもわからない、あまりにわからないことが多すぎて読む気がうせてしまう。

こうならないようにするには、読書しながらノートをとるとよい。登場人物の名を書いておく。どの人物が重要なのかはわからないので、すべての人物について記録する。

印象に残った文章は書き写す。わからない言葉読めない言葉は辞書を引く。固有名詞も「そういう名前の何か」ですませず、調べる。今はインターネットがあるから、地名とか外国の固有の料理の名前とか人名とか、すぐに情報が手に入る。

こういうと、「長編小説を読むのにそんなことをいちいちしていられない」と思うだろう。

しかし、不思議なことにこのノートを付けることは、小説を読み進めていくうちにだんだん少なくなっていき、そのうちノートを付けなくても、不明な言葉を辞書で引かなくても読めるようになる。

私はトーマス・マンの「魔の山」とトルストイの「戦争と平和」を読むときにこの方法をとったのだが、どちらも途中でノートを付けることはほとんどなくなった。ただ、両方とも長いので、読んだ章の数字と、その章で何があった、だれが出てきた、程度はメモしていた。

 

読書しながら本に線を引いたり書き込みをしたりするのも、上の空になるのを防げるかもしれない。だが、私は本に線を引くことはまずない。やってみたこともあるが、線を引き始めるとやたらめったら引くことになり、また、線を引くと引いただけで読んだ気になってしまいかえって内容把握がおろそかになってしまうような気がする。

また、線を引くことの意味が、「感動した」「なるほど」「うまいことをいう」「意味がわからない」など多様になり、それについて色を変えたり波線にしたり点線にしたり、といったことをするのも、面倒だし、文章のリズムというのか、雰囲気というのか、そういうものが崩れてしまうような気がしてならない。


私は読書するときは、上の空になってもそのまま読み続けることにしている。完全に文章を理解できなくても、とりあえず読み進める。一言一句理解しないと読み進めないというような態度でいたら子供向けの童話や家電製品の説明書くらいしか読めない。

むしろ、自分が理解できない文章を自分の中に取り込んでいくことこそが読書のだいご味なのではないか。

そもそも、小説なんてある人が頭の中で作り上げたものである。もちろん、調査したり推敲したり、編集者などの校正を経たりしてはいるのだろうが、それだって人のしたことである。間違いもあるかもしれないし、話の進め方に無理があったり、説明不足があったり、作者の思い込みを読者に押し付けている場合もあるだろう。翻訳の場合はさらに翻訳がが作者の意図を取り違えていることがありうる。だから、わからないことがあってもあまり気にせず読み進めるべきだ。