2007/10/18

主人公

主人公は無性格で凡人の方が良いという事について。あらためていろんな作品を見回してみるとほとんどの主人公がそうであることに気づく。逆に主人公が異常であるほうが珍しい。真っ先に思いつくのが「人間失格」である。この作品は特に若者に衝撃を与える有名な作品で、
最近漱石の「こころ」をぬいて新潮文庫の売り上げトップになったという。
人間を失格するくらいの男なので普通ではない。

主人公が異常者と言えば「仮面の告白」である。この主人公に共感を覚える人はそういないだろう。しかし彼は異常人ではあっても常識と平凡であることがどういうことかを理解していてそれを装う事ができた。でもやはり彼の異常さは作品を破綻させるよう働き、結局は人生も破綻させた。「潮騒」はうまく彼の異常性を隠し通すことに成功した数少ない作品であるがそれが彼の本当の姿、本当に彼が書きたかったものでないと言うことは本人が告白している。

最後の大作でも、平凡な男であるはずの本多が覗きで捕まるというマンガのような転落をする。「豊穣の海」は、1・2巻までは傑作だが3巻で疑問符が付き、4巻は悲惨なまでに破綻している。そのためにこの作品は絶対に傑作とは呼べない。「豊穣の海」を傑作だと言う人は4巻を読んでないだろう。

三島由紀夫という男は太宰とは正反対のようで似ているのかもしれない。三島は45歳、太宰は39歳で死んだ。もう俺も彼らの人生と同じくらい生きてしまったのだ。だからそろそろ彼らの作品を批判するような事を書いてもいいだろう。この年で彼らはすばらしいと賛美しているほうが気持ち悪い。

結局、三島由紀夫は文学に愛想がつきたのではなかったか。所詮文学なんて覗きじゃないかと。行動しなければ意味がない、と。よく「本を読め」「最近の若者は本を読まない」言われるが、それはどういう本なんだろう?「人間失格」、「こころ」、「金閣寺」、どれも陰惨な後味の悪い作品である。私はたいした読書家ではないが、いわゆる名作文学にまともなものにお目にかかったことがない。私は喜劇や悲劇を否定したというソクラテスにおおいに共感する。ソクラテスもそれらが好きだったのだが、そのうえで否定して知を愛する人となったのである。