2009/06/22

太宰治 「人間失格」

生誕100周年ということで、こっちも読んだ。シラフで、じっくりと読ませてもらった。
よく考えてみると、これを読むときは自分の生活が比較的落ち着いているときが多い。
私も弱くて欲望に流されやすい性格なのだが、そういうときはこれを読まない。

もう何度も読んだし、彼がこれを書いた年齢も超えているし、
笑って読めるところもあるが、やはりこの作品には彼の並々ならぬ気合を感じる。
そしてこの作品では、自分自身と同じくらいに、彼が接してきた人たちへの
冷たい、絶望的なまでの批判が展開されている。

特に女性に対しては恨みといってもいい、ほとんどバケモノ扱いである。

「人間失格」は昭和23年の三月から五月にかけて執筆され、
雑誌の6、7、8月号に3回にわけて連載された。
自殺したのは6月13日で、第一回が発表された後である。

今までずっと、太宰が自殺したのも無理はない、
いつ死んでもおかしくない人生だったと思っていたが、
よく考えてみると、ここまで生きてきてどうして死んだのか、
わからないところもある。

彼はからだが弱く病気がちだったようだが、残された写真をみるとそんなに青白くもなく、
体格も悪くはない、健康そうな男に見える。
彼が精神的に病んでいた、という説をよく聞く。アダルトチルドレンだとか、境界性人格障害だとか・・・。
でも彼は確か胸が悪かった、あと、肋膜炎か何かになって、その鎮痛剤として使用した薬の中毒になったのであって、イタズラにクスリに溺れたのではない・・・
昭和23年には喀血もしている・・・
というのを聞くと、ただ単に「破滅型だから死んだのだ」と片付けることもできないように思う。

それから、死んだわけもわからないが、その直前の「斜陽」を書いたときに出会った太田静子という女性との関係もよくわからない。
年譜によると初めてあったのが昭和16年で、昭和22年には太宰から会いにいって1週間も滞在して日記まで借りている。
「6年ぶりに会った」という「斜陽」にあった話は、これまた事実であった。
そしてそれを即小説にしてしまう神経。
本当に、酒代のために必死で書いていたのだろうか・・・

それから山崎富栄という女。写真を見るときれいな人だが、
いろいろなところから伝え聞く彼女の発言や行動も理解しがたいものがある。

今ざっと調べたところでは、
いろいろ原因は複雑にからみあってはいるだろうが、
決定的な理由はやっぱり、結核だと思う。

「人間失格」の文章がなんだかやけっぱちで、覇気がないのは、
気力体力ともに衰えていたからだろう。
そしてそれが、それまで抑えられていた他人への批判を前面に出す結果となった。
道化を貫くことができなかった。

あとは、太田静子の謎だ。
どうして子を生ませるようなことをしたのか。
静子が子供を欲しがったのだろうか。
そうとしか思えない。太宰は周到な男だ。
きっと、静子は結婚できなくてもいいから子を産ませてなどと言ったのだ。
だから子が生まれた後は冷たくしたのだ。
恋に落ちてできてしまった、というようなものではないだろう。

静子もトミエも、太宰にとっては女中のようなものだ。
彼はまさしく色魔で・・・・・

もうやめた。寝よう。