ポオというと日本人にとっては詩人というよりも推理(恐怖)小説作家、江戸川乱歩が名前をつけた由来の人というイメージが強いのではないだろうか。私もその一人で、子供の頃少年探偵団シリーズを読んで、その元祖みたいな人だとしてポオを知った。
だがボードレールとかランボーを知ったときにそれらの詩人に大きな影響を与えたとして詩人としてのポーを知った。
最近ちょっとランボーを読んでみているのだが、私は「詩」がいまひとつよくわからない。歌謡曲とかの「歌詞」も、歌うからよいのであって、詩だけで完結する作品というのはなかなかおめにかかれない。
私が読んだ主な詩集は、宮澤賢治と萩原朔太郎で、彼らの詩であればいくつかいいなと思って書き写したり暗唱したりしたこともある。
詩と言えば、シェークスピア、ゲーテ、バイロン、ボードレールなど海外の古典というか伝説みたいな詩人達がいるが、翻訳を読んでもよくわからない。かと言って原文を読んでももっとわからない。
ボードレールはけっこう読んだのだが全部翻訳である。なんとなくボードレールとはどういう男なのかはわかっているつもりだが、特に彼の詩についてはその真価の半分もわかっていないと思っている。
私は詩に対して近寄りがたい思いを持っている。詩とは神秘的なもので、天才にしかかけないものであり、文学の究極が詩であるというくらい、偉大なものだと思っている。だが、それがわからない。小説ならヘタクソでもなんとか書けるかもしれないと思うが、詩は無理だ。
だから、詩とは何か、ということがその秘密が知りたくてしょうがない。
というわけで、ポオが詩について書いたものを読んでみた。創元推理文庫におさめられているものである。
書いてあることは特に目新しかったり感心するようなことはなかった。少なくとも、自分が詩を書くヒントになるようなものはなかった。
「構成の原理」では、自分の The Raven を例にとって、どのように詩を書いたかが語られている。ひらめきとかインスピレーションといったものによって筆にまかせて書いたのではなく、いかに読者をひきつけるかを周到に計算して理詰めで組み立てたと言うことが語られる。 nevermore という単語を選んだのにも、raven を登場させたのにも、約100行という行数にも理由があってのことだという。いろんな芸術家の言うことを聞いていると、常識的なこと、論理的なことを語る人が多い。有名で大家と呼ばれる人ほど、「センス」とか「感覚」というものに頼っていないという印象を受ける。