ルキノ・ビスコンティ監督の映画。観たことはなかったが何度もその作品と監督の名前は聞いていた。
原作は岩波文庫の翻訳を2回読んだ。感動するとか、好きな作品というわけではないが、なんだか不思議な、強い印象を持っている。
観たのは早稲田松竹という名画座である。
平日の名画座なのに、ほぼ満席であった。
原作と映画で大きく違うのは音楽である。小説で音楽の効果を使うことはほとんど不可能だが、映画にとって音楽はなくてはならないものである。
私が特に印象的だったのは、流しというか楽団というかチンドン屋のような連中である。彼らがおどけながら演奏するのに、皆がほとんど表情を変えず困ったような顔をしていたのがおもしろかった。
この映画を観ている間中、私の頭の中には「滑稽」という言葉が浮かんでいた。
主人公の行動は滑稽である。少年をつけまわしたり、化粧をしたりするのは原作通りだが、それが小説よりも映画では滑稽さを増していてほとんど見るに耐えないくらいだった。
私はこの映画を大傑作だと賞賛する気にはなれないが、原作の持つ不思議さは再現されていたように思う。
タッジオや、伝染病や、タッジオを追いかけ病気になる主人公は何かの象徴だろうか。
主人公は英語をしゃべり、タッジオの家族はイタリア語を話すがイタリア語のセリフは訳されない。原作でもたしか主人公はイタリア語がわからず少年の名前というか呼び名である「タッジオ(タッジウ)」だけを聞いていたからそれでよいのだろう。