2014/01/06

くちなしの花

今朝バスを待っているときに腕時計のバンドがゆるいので締めなおしていたら、「くちなしの花」を思い出した。

いまでは指輪もまわるほど
やせてやつれた おまえの噂

この詩はなんかおかしい。
「指輪がまわるほどやせる」というのはあまり聞かない。
かなりのやせ方だ。

さらに、それが「噂」になっているのである。

人がやつれたときに、「あの人やつれて指輪もまわるくらいらしいよ」と言うことはありえないだろう。

「すっかり頬がこけて・・・」
「白髪が増えて・・・」

他人が見て「やつれた」というのはその程度であって、「指輪がまわる」というのは自分自身を見つめているときにしかわからないことだ。


そしてもうひとつは、

くちなしの白い花
おまえのような花だった

「くちなしの花のような女性であった」

これはよい。

しかし、「くちなしの花はあの女性のようだった」というのはおかしい。

「くちなしの花のような女」というときの「花」は、もちろんその花の性質、つまり色とか形とかあるいは匂いなどを言うのであって、特定の花ひとつを指すのではない。

だから、たとえその女が過去の、別れた女であったとしても、くちなしの花に似ていたという事実は変わることがない、つまり過去形にはなりえない。


「やせてやつれて」くちなしの花のようではなくなってしまった、という場合であれば、

「おまえはくちなしの白い花のような女だったのに」などというべきである。


この歌の場合は、「くちなしの白い花を見ると、その花に似ていたおまえのことを思い出す。おまえはくちなしの花のような美しい女だった」ということがいいたいのであろうが、文法的にそうなっていない。



もちろん私もそんなことを気にして聴いていたわけではなく、
言いたいことはわかっていたが、
やっぱりこの詩はあまりよくない詩だと思う。