いまでは指輪もまわるほど
やせてやつれた おまえの噂
この詩はなんかおかしい。
「指輪がまわるほどやせる」というのはあまり聞かない。
かなりのやせ方だ。
さらに、それが「噂」になっているのである。
人がやつれたときに、「あの人やつれて指輪もまわるくらいらしいよ」と言うことはありえないだろう。
「すっかり頬がこけて・・・」
「白髪が増えて・・・」
他人が見て「やつれた」というのはその程度であって、「指輪がまわる」というのは自分自身を見つめているときにしかわからないことだ。
そしてもうひとつは、
くちなしの白い花
おまえのような花だった
「くちなしの花のような女性であった」
これはよい。
しかし、「くちなしの花はあの女性のようだった」というのはおかしい。
「くちなしの花のような女」というときの「花」は、もちろんその花の性質、つまり色とか形とかあるいは匂いなどを言うのであって、特定の花ひとつを指すのではない。
だから、たとえその女が過去の、別れた女であったとしても、くちなしの花に似ていたという事実は変わることがない、つまり過去形にはなりえない。
「やせてやつれて」くちなしの花のようではなくなってしまった、という場合であれば、
「おまえはくちなしの白い花のような女だったのに」などというべきである。
この歌の場合は、「くちなしの白い花を見ると、その花に似ていたおまえのことを思い出す。おまえはくちなしの花のような美しい女だった」ということがいいたいのであろうが、文法的にそうなっていない。
もちろん私もそんなことを気にして聴いていたわけではなく、
言いたいことはわかっていたが、
やっぱりこの詩はあまりよくない詩だと思う。