2015/05/16

Del Shannon / Runaway

ある夜、iPodでランダム再生をしながら近所のコンビニへ傘をさして歩いていた。

ドラムスティックをカチカチとたたいてカウントを取るのから始まって、いい雰囲気のイントロがながれた。

これはいいな、誰だろう?ヤードバーズか?と思った。

しばらく聴いても誰のどの曲だかわからないのでiPhoneをみると、Traveling Wilburysの Runawayであった。

Traveling WilburysはDylanが歌ってるものばかり聴いていたので、この曲は知らなかった。

ボーナストラックであった。


知らない曲だと思ったが、すぐにあああの曲か、とわかった。


Del ShannonのRunaway である。

ただ、曲自体は知っていても、誰が歌っていてタイトルが何なのかはうろ覚えだったので調べた。



Traveling Wilburysはロイオービソンが亡くなった後、新しく加入するメンバーとしてうわさされていたあるミュージシャンが自殺し、それが理由かはわからないが、活動は終わった、ということは知っていたが、それがデルシャノンであり、あの「ワーワーワーワー」の曲の人だったのか、というのはあらためて知った。


この曲が録音されたのがいつなのかはわからない。

デルシャノン追悼のようなことだと思うのだが、定かではない。


しかし私はこの曲、Traveling Wilburysの演奏したこのバージョンが大好きになって、通勤時にずっとリピートして聴いている。

ボーカルが誰だかわからなかったが、調べたらJeffrey Lynneであった。

Wilburysはディラン、ロイオービソン、トムペティ、ジョージハリスンはすぐにわかるので、
それらの誰でもないということは、あのグラサンをかけたカーリーヘアのあいつか、
とは思っていたのだが、名前もよく知らなかった。

Jeffrey Lynneは元エレクトリックライトオーケストラだそうである。

ELOか。ELOも、名前くらいは知っているし、曲を聴いたことはある、という程度だった。



WilburysのRunawayは、原曲に忠実にカバーされている。

keyも原曲と同じ、速さもだいたい同じくらいじゃないだろうか。


Del Shannonはかなり早い時期から心を病んでいたようである。

画像で表情を見ても、確かにあまり幸せそうな、いい人そうな顔はしていない。



ところで「runaway」という語であるが、

これは run away ということで、「走り去る=逃避行(する)」みたいなイメージを持っている人が多いだろうが、微妙に、違う。

まず、この単語は「run away」という二語ではなく、「runaway」の一語である。

そして、動詞ではなく、形容詞または名詞である。


歌詞

As I walk along,
I wonder what went wrong,
With our love, a love that was so strong.
And as I still walk on,
I think of the things we've done
Together, a-while our hearts were young.

I'm a-walkin' in the rain,
Tears are fallin' and I feel the pain,
Wishin' you were here by me,
To end this misery

And I wonder--
I wah-wah-wah-wah-wonder,
Why,
Why, why, why, why, why she ran away,
Yes, and I wonder,
A-where she will stay-ay,
My little runaway,
Run, run, run, run, runaway.


a-walikin' という語があるが、ボブディランの初期にもよく出てくる( times they're a-chanigin') とか。

進行形の前に a- が付くのは、古いいいかただ、みたいなことをどこかで読んだのだが、
今調べたら単純にそういうことでもないみたいだ。

さらに、a-while とか a-where なんて語も出てくる。



歌詞も気に入ってしまい、ほとんど暗誦できる。

こんど、自分でもカバーしてみようかと思っている。


2015/04/25

木村政彦

twitterで梶原一騎のbotをfollowした。

梶原一騎節というものはほとんど私の血肉と化していることをあらためて実感した。

何か梶原一騎原作の漫画が読みたいなと、漫画がたくさんおいてある喫茶店に入ると、
「男の星座」があった。

これは昔ちらっと読んだことがあるが、絵も話も気に入らず、すぐやめてしまい、
どんな話だったのかも覚えていない。

最初に、梶原一騎の最後の作品である宣言が書いてあって、へーそうだったのか、と
あらためて読んでみた。

力道山と木村政彦の試合の話から始まる。

金的をけられた力道山が木村をメッタ打ちにして勝ったが、

それを観ていた大山倍達がその場で力道山に試合を申しこんでいて、

その場に梶原一騎もいる。


そんなことがあったのかと、あわてて調べてみたら、全部実話であった。

力道山が木村をメッタ打ちにする映像もyoutubeで観れた。


力道山のことはもちろんしっていたが、木村政彦のことは、聞いたことはあったような気はするが、

戦う姿はもちろん、顔すらも初めて見た。


そして、すっかり感心したというか、いわば、「惚れて」しまった。


なんといういい表情なのだろう。

鮮明な映像はもう柔道をやめてショーとしてのプロレスラーになった以後の、
いわば全盛期をすぎたものしかないのだが、
それでもいい顔をしている。


エラが張って、目尻はさがっている。

いつも穏やかな表情だが、殺気というか迫力というものがみなぎっている。

今はそういう場合「オーラ」という言葉が使われるようになったが、オーラなどという
かわいいものではない。



2011年に「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」という本が出版されてベストセラーになり、
木村政彦の名があらためて知れ渡ったそうだが、私はまったく知らなかった。

今回知ったのも、「男の星座」を通してである。



木村政彦の人生は、晩年はあまり幸福ではなかったようである。

力道山もケンカで刺された傷がもとで死んでいる。

梶原一騎も晩年は悲惨な人生だったと聞いている。

矢吹丈、星飛雄馬、伊達直人もみんな悲劇のヒーローだ。




力道山と木村政彦の試合は、お互いに八百長で合意していたのに力道山が金的蹴りに逆上して本気になったと言われているようだが、

私は、もしかしてあれは木村がワザとやられたのではないかと思った。

力道山の「空手チョップ」なんて、ほんとうは効かないんじゃないか?

木村がたおれて血だまりができた、という話も聞いたが、それもどこかに仕込まれていたニセモノの血じゃないのか?

などと。


木村政彦の数々の伝説を聞くと、それくらいのことは平気でできただろうと思う。

2015/02/15

A Hard Day's Night

最近ずっとハードデイズナイトを聴いている。

初めて聴いたのは中学生の時、ジョンレノンが死んで2年くらいたった時だ。


あまりに有名で、たいした曲でもないけど、あらためて聴くとやっぱり名曲だと思う。

この曲のイントロはどんなコードか?というのが話題になったことがあった。


これもあらためてどういうことだったんだっけ?ピアノが入ってたんだっけ?

と、調べてみたが、結局

FonG

Dsus4

Dのベース音

が重なっているらしい。


ギター一本で弾くなら、Dsus4 on G で、ほぼ同じ感じになる。

私がもっているコードブックではDsus4となっていて、明らかに違うなあと思っていたのだが、

決定的な違いはG音の有無だけだった。



さて、もうひとつ、この曲の歌詞も気になった。


It's been a hard day's night


まあ、「忙しくて寝る暇もない」みたいな意味だろうとは思っていたのだが、

この冒頭の1行は、文法的におかしいか、非常に珍しい表現ではないのか。

単に忙しかったなら、It was a hard day. となる。

何日も忙しい日が続いたなら、

Those were hard days.


It's been a long time という表現があるけど、It's been a hard dayというのはきいたことがない。

「ハードデイズ(ナイト)」とカタカナで書くと複数形かと思ってしまうが、これは所有格である。


おそらくこの歌詞は、言葉遊びのようなもののはずだ。


「当たり前だのクラッカー」みたいなね。

2015/01/25

江戸川乱歩

小説はめっきり読んでいない。

細雪は去年のうちに読んでしまおうと思っていた。

8月に中巻を読み終わって、あとは下巻だけだ、まあ年末までには読めるだろう、

と思っていたが結局読めなかった。


細雪は、あんまりおもしろくない。ときどきおもしろいエピソードが出てくるのだが、

全体的にあまり劇的でないのだ。関西風な、薄味な感じなのだ。


それが谷崎の描きたかった世界なのかもしれないが。



さて、今朝の日経新聞に、江戸川乱歩についての記事が出ていた。

亡くなって50年たつとかなんとか。


私は小学生のとき、少年向けに書き直されたという、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズを全部読んだ。

とても面白かったのだが、私にとって江戸川乱歩は漫画やテレビ、つまり、仮面ライダーとか、あしたのジョーとか、宇宙戦艦ヤマトとか、天才バカボンとか、そういう世界と同じようなものだった。

江戸川乱歩は、私にとっては文学ではない。


今朝の新聞記事でも夏目漱石と並べられていたが、だんだん彼の評価が高まっているように感じるが、私は江戸川乱歩はあくまでもエンターテイナーであって芸術家ではないと思っている。


別にエンターテイナーが劣等なわけでも、芸術家が高等なわけでもないが。


しかし、私はここ数年、「高尚と低俗の違いは何か」ということの答えがわかりかけている。

AKB48とベートーベンの何が違うのかということが。


だから、江戸川乱歩と夏目漱石は違う、ということも、私は確信しているのである。

説明するのは難しいが。


uffizi

最近全然本を、小説を、読んでなくて、書くことがない。

そういえば、12月にuffizi展を観にいった。

このブログはいわゆる「芸術」についてのものなので、絵画についても書いていいのだ。

が、時間が経ってしまって、印象が薄れてしまっている。


絵画を観ることなどめったにない。数年に1度くらいだろうか。


uffizi展は、ほとんどが「宗教画」であった。イエス、マリア、聖ペテロ、パウロ、とか。

目玉はボッティチェッリである。


彼の名は学校の歴史の教科書で強調されていたが、私はボッティチェッリという人の絵がそんなにすばらしいものだとは、今までは思っていなかった。

なんだか硬直したような、無表情な、何が「ルネッサンス」なのか、という感じだった。


しかし、uffizi展で並べられていた同時代の画家たちの絵と比べてみると、ボッティチェッリはやはり何か違った。


リアルだとか、生き生きとした表情とか、そんな単純なことではないのだが、私にはそのようにしか表現できない。


でも、私は「ルネッサンス」というものを、すばらしいものだと思っていない。

フランス革命とか、民主主義とかも。


その前が暗黒時代だったとも思っていない。

ペストが流行ったのはいいことではないが、疫病が蔓延したら暗黒時代だというのは、それこそ迷信ではないか。

2014/09/15

細雪(中)

最後、男が病気になって片足を切断することになるが、
死んでしまう。

2014/07/08

最近

いやー、最近全然本を読んでない。

映画も見てない。

音楽も、古いのを聴いてるだけで新しいものを全然買ってない。


仕事が忙しくて、というわけでもないのだが、

落ち着いてじっくり考えたり見たり聞いたりする気になれない。


常に疲れている。


2014/04/10

Suzanne Vega 2014/04/07 @EX THEATER ROPPONGI

行ってきました。

来日を知ったのは今年の3月頃だったかな。

2008年に来ているし、2013年にはフジロックに来たようだが、

どちらも気づかなかった。


4/7は月曜日だし、仕事も忙しいときだったのであきらめていたのだが、

都合がついて、二日前の土曜日でもチケットは買えた。


6時半に仕事を終えて、EX THEATERへ向かった。



満員ではなかったが、ほとんど席はうまっていた。

でも、そんなに大きい会場ではなくて、500人くらいだったんじゃないか。



ステージにはスザンヌ・ヴェガと、もうひとり、Gerry Leonardというギタリストが立った。


私は知らなかったが、そこそこ有名な人らしい。


まあ、悪くはなかったが、私はいなくてもいいと思った。


スザンヌヴェガが一人でギターを弾き語りしてくれても全然よかった。


スザンヌヴェガはもう50過ぎで、子供もいるのだが、若々しくて、「かわいい」という感じで、

歌声はいつもiPodで聴いているのと全然変わらなかった。


MCは、英語でペラペラしゃべる。「ドウモアリガトウ」なども言うが、

普通に英語でしゃべりかける。


会場にはガイジンもけっこういて、彼らが彼女に答えていた。



スザンヌヴェガのライブを見れただけで大満足であったが、

心の底から感動したというほどではなかった。


というか、なんだか後味の悪い思いさえした。



ライブの後にサイン会があるという情報を事前に知って、

小さなノートを用意していた。


ライブが終わって、サイン会に参加する人は残るように、というアナウンスがあって、

30分くらい待って、サイン会が始まった。


スザンヌ・ヴェガと、Garry Leonardが座って、サインをしていた。

私は黙ってノートを差し出し、サインをもらうと「Thank you」と言った。

スザンヌ・ヴェガも、「Thank you」と言ってくれた。



何か一言話しかけている人もいた。握手をしている人もいた。

でも私はthank you というのが精一杯だった。



近くで見たスザンヌ・ヴェガは楠田エリコみたいだった。


あまりジロジロは見られなかった。

というか、全然見られなかった。


正直、近くで見たりサインをもらったりする必要は全然なかった。



なんだか、その夜は複雑な心境だった。


2014/02/21

The Ballad of Ira Hayes

先日twitterのあるbotだったと思うが、elvis presleyともう一人が並んで写っている写真が添付されていて、それはロックの殿堂とフォーク(カントリーだったかな)の殿堂の両方にはいっている二人、と紹介されていた。

elvisでないほうは誰だかわからなかったのだが、ちょっと調べてジョニーキャッシュだとわかった。

ジョニーキャッシュという名前は聞いたことがあったが、どんな人でどんな歌を歌っているのかも知らなかった。

そこで彼のベスト盤のようなものを入手して聴いてみたら、すごくいいなと思った。

声は低音で、エルヴィスと似ているが、もっと低くて、朴訥というか、飾りのない声である。


そして、The Ballad of Ira Hayes という曲があった。

この曲は、Bob Dylanが歌っているのを聴いたことがあった。


ジョニーキャッシュの曲なのか、と思ったら、それもカバーでPeter La Fargeという人が作った曲らしい。

3人の歌うのを聴いてみたが、それぞれまったく別の曲である。


Bod Dylanのはとても劇的で、感傷的といってもよい。

ジョニーキャッシュのは淡々としている。 Peter La Fargeのものもそうだ。


もともとは、ほとんど語っているような歌である。



Ira Hayesというのは実在の人物で、インディアンの血を引くのだが第二次大戦でアメリカのために戦って、硫黄島で何人かの兵士たちが星条旗をたてている有名な写真に写っている一人だそうだ。

彼は英雄扱いされたのだが戦後は不遇な人生を歩み酒におぼれて若くしてなくなった。


そのことを歌ったのが The Ballad of Ira Hayes である。


Dylanの歌うのを聴いたときは歌詞に興味を持たなかったのだが、

淡々と歌われていたジョニーキャッシュのを聴いたときのほうが、歌詞に興味を持った。


ジョニーキャッシュはNashville skylineでdylanとデュエットしている。

それは聴いたことがあったが、あれはちょっと気負いすぎというか、いつものジョニーキャッシュではない。











2014/02/20

マルクス・アウレーリウス 「自省録」

岩波文庫。神谷美恵子訳。

1956年第一刷、1981年第29刷の、古本屋で買ったものである。


著者のことは、世界史の授業で「マルクス・アウレリウス・アントニヌス」という、ローマ皇帝の中でも五賢帝の一人で名君として有名な人物だとして習って知っていた。

また、後漢書にある「大秦王安敦」は彼のことだと覚えていたが、彼またはアントニヌス・ピウスと言われているようだ。


とくに何かを論じているというわけではなく、短いつぶやきのようなものの集まりである。

「自省録」と言っても、自分のことを見つめて反省しているというより、万人に対して、人はこのように生きるべきだと教え諭すような言い方である。


西暦121年に生まれた人であるが、言っていることは現代でもほとんど「常識」であるといってもいいくらいに違和感がない。


人物としては繊細で温和で内向的で、両親や教師などに非常に愛されたのだろうな、ということがうかがえる。


私はこれを寝る前に少しずつ読んでいったのであるが、だんだん、「この人はイエスを、キリストをどう思っていたのだろうか」ということが知りたくなった。

「神」という言葉はたくさんでてくるのだが、それはもちろんキリストのことでもなければ聖書にでてくる神でもない。

プラトンやソクラテスの名前がよく出てくる。

解説などによると彼の思想は「ストア派」に分類されるらしい。

禁欲的で、自然に従うことを説いている。



キリスト教については、まったく触れられていないと言ってよい。解説にも「言及しているとおぼしき箇所がいくつかあるがきわめて皮相」とある。


マルクスアウレリウスの時代はキリスト教が迫害されていた時代にあたる。

解説では彼は以前からの法律を踏襲していただけで積極的に迫害していたわけではない、と書いてある。

たしかに、「自省録」に書いてあることを考えているような人であれば、熱心に説かれたらキリスト教は受容されたのではないかと思える。


彼はいわゆる「まじめないい人」である。

おそらくキリスト教は狂信的なカルトであると認識していて、それがどんなものかなど興味ももたなかったであろう。


本書については、わたしはそれほどすばらしい名著だとは思わなかったし、著者についても尊敬にまでは至らなかった。

それはなんといっても、世界についての苦悩や、矛盾に対する疑問のようなものがほとんど見られないからだ。

子供をあいついで亡くしていて、それについて何度か触れられているが、結局しかたがないことだからあきらめるべきだと言っている。



「賢帝」とか「哲人皇帝」とかいっても、なんせローマ皇帝だからね。

何不自由なく暮らしていたはずだ。たくさんの人の貧しい暮らしの上で。






谷崎潤一郎 「細雪」 上

古本屋できれいな文庫本があったので買っておいたもの。

細雪はずっと前から読まねばならないと思っていたがなかなか読めなかった。

谷崎潤一郎の作品は、春琴抄、痴人の愛、鍵などを読んで、おもしろいなと思っていたが、細雪は読み始めるものの世界になかなか入っていけず、すぐに読むのをやめてしまっていた。

私が読んだ他の作品のように、この作品には劇的なことが起こらない。もういい年頃なのに独身の女性の縁談というのが一応話の核のようになっているが、それも見合いをするものの特に魅力的な相手でもなくなんとなく気乗りせずに破談になったりする。

それ以外には特になんということもない日常が淡々とつづられる。その中にはクスリとしてしまうようなエピソードもときどき挟まれるが、はっきり言ってしまえば退屈である。

谷崎潤一郎という人はどちらかというと浪漫派というか、劇的で過激な話を書く人というイメージがあったのだが、細雪はそうではなく、自然主義というか、リアリズムというか、現実的な描写に徹している感じだ。

登場人物の心理にもあまり触れない。登場人物はそれほど激しく悩んだり苦悩している様子もない。

上巻の最後では雪子の縁談と破談、それと同じころに起きた幸子の流産という、ちょっとした山場があって終わる。


なんとか「世界」が見えてきたので、中、下が楽しみになってきた。


ちなみに、冒頭の「こいさん、頼むわ」というセリフであるが、わたしはこれを何十回と読んでよくわからなかったのは、「こいさん」と呼ばれたのは「妙子」なのになんで「こいさん」なのかということだった。

少し話が進んだときに説明がある。

「『こいさん』とは『小娘(こいと)さん』の義で、大阪の家庭で末の娘を呼ぶのに用いる普通名詞であるが」


2014/01/20

飛んでイスタンブール

先日ある飲食店で、「飛んでイスタンブール」がかかっていた。

流行ったのは私が小学生高学年の頃である。


歌詞の意味はさっぱりわからなかった。

「イスタンブール」を知らない。

それが地名であることすら知らない。



今になってあらためて聴いてみると、もう固有名詞はどんなものかはわかっている。


そして、これもおかしな詩だなと思った。


「いつか忘れていった こんなジタンの空箱

ひねり捨てるだけで あきらめきれるひと」


ジタンとはタバコの銘柄の名前である。


日本人にはあまりなじみのない名前だ。



その人がそのタバコを吸っていたのだろう。



「いつか忘れていった」とあるから、別れた人のことなのだろう。

歌手は女性だし、おそらく女が男を思い出して語っているのだろう。


この詩も、「いわんとしていることはなんとなくわかるが文法的におかしい」

類の詩である。



詩とはそういうものだと考えている人がいるかもしれないが、
私は絶対にそうだとは思わない。

支離滅裂になんとなく雰囲気がいい言葉をならべてごまかすのが詩ではない。



「いつか忘れていった」のだから、それははっきり憶えていないのである。


「こんなジタンの空箱」とあるが、ここで「ジタン」というちょっとめずらしい固有名詞が登場するので惑わされてしまうが、


「ジタンの空箱」という、特定の箱が示されている。


それも、誰もが吸うタバコではない。

となると、その印象は強烈で、誰のものでいつのことかもはっきり覚えているはずだ。



「ひねり捨てるだけで あきらめきれるひと」



これは女が、男がおいていったタバコの空き箱をひねり捨てて、

それだけで忘れられるような、特別な思い入れもない、そんなに深くない関係だったのだろう。


だが、「いつか忘れていった」とあるから、

その関係は少なくとも一夜だけではない。


空き箱を忘れたことが「いつか」ということは、結構長い間関係を持ったはずである。


簡単にあきらめ、忘れられるといいながら未練を断ち切れない、という詩なのだろう。


だが、基本的な事実関係がしっかりしていないので、信憑性も、現実感も、必然性も、

切迫感もない。


たぶん、作詞者もそれはわかっていて、あえてあいまいに、意味が不明瞭になるように書いたのだろう。


「おいでイスタンブール」

「飛んでイスタンブール」


意味はないのだ。


彼女がイスタンブールにいるのか、かつていったことがあるのか、

それすらもはっきりしない。


誰が飛ぶのか。飛んでくれと頼んでいるのか。


ただごろがよかっただけなのか。







2014/01/13

Tilda Winston

Tilda Winstonはブロークン・フラワーズにも、リミッツオブコントロールにも出ていた。


「リミッツ・・・」はなんとなく思い出したが、「ブロークン・・・」はどこだったかな・・・