2009/05/20

永井荷風 「濹東綺譚」

「ぼくとうきだん」。「ぼくとうきたん」と読むのが正しいのかなと最近思って、岩波文庫を買ったら、「ぼくとうきだん」という読み仮名がついていた。
俺の読み方は正しかった。
この作品は、何度か読もうかなと思って書店でぱらぱらと開いてみるものの読む気になれずにいた。
映画化されたときは特にその気になったが、どうしても文体が受け付けなくて読めなかったが、
ボリュームがたいしたことなさそうなので、我慢して読んだ。
定価だと四百何十円するのだが古本屋で210円で買った。

文体がどうこうというより、永井荷風という人の性格が受け付けないのだろう。
要は風俗パンチドランカーである。
最後は孤独な死を迎えたようだ。
この作品については、何の感動も感心もない。
荷風という人が日本の文学史上でどういう位置を占めているのかは知らないが、
名前だけはよくきくので、ひとかどの人ではあるのだろう。

エロ小説では、全くない。実はそういうモノを期待していたところもあったのだが、
さすがにそこまで最低な作家ではなかった。

本編と、その補足のような話、そして本編は実体験と創作が重なりあっている。

その補足部分を読みながら、思ったのは、
作家というものがとりあえず名を残したということは、それを読んで喜んだ読者、
評価した学者や評論家などがいたからだ、ということである。
つまり、けしからん作家がもてはやされるのは、そういうけしからんものを望む空気があったからだ。
太宰しかり、三島然り。

ボクトウキダンは昭和11年、戦争が始まる頃に書かれたそうだ。
それは永井の晩年で、彼は世間の流行に不快を感じていることを書いている。

多分、彼の他の作品を読むことはないだろう・・・