2009/05/02

太宰治 「富嶽百景」

最近富士山のよく見える場所に引っ越してきて、あらためて読み直してみた。
「富嶽百景」は高校の国語の教科書に載っていたのを読んだのが初めてである。
当時は別になんてことのないお話だなとあまり思うことはなかった。
太宰と言えば「人間失格」とか「斜陽」とか自殺とか薬物とかいった
激しいものに興味があった。

しかし、やはり太宰の作品である。
教科書に載せるようなハナシではない。
これを書いた頃は、確かに太宰にしては落ち着いていた時期だったのかもしれない。
しかし、すでに彼が死んだ歳をすぎて彼ほどではないにしても
酒も飲んだしいろんな汚い経験を経た今ならわかる。

彼は二十歳の頃に結婚している。このときの妻のことは年譜にも書いてあるが、
太宰の入院中に彼女が「姦通」したという記述をよく見る。
「姦通」って・・・。まるでそれが太宰の破滅のきっかけとなったかのような、大げさな書き方だ。太宰なんか姦通どころか心中未遂まで起こしているというのに。
「富嶽百景」にも、「意外の事実をうちあけられ」とある。その後がぶがぶ酒を飲んだとか時期からしてその「姦通」の告白のことをさしているのではないか。
まあそうであるにしろ、そうでないにしろ、「一晩中酒を飲んで朝ションベンしようとしたときに富士山を見ながら泣いた」なんて、高校生に読ませんなよ。

別にそれくらいいいじゃんか、というかもしれない。
最近、テレビで芸能人が集まって雑談のようなハナシをする番組がよくあるが、
そんなところで笑い話として語るならいいが、こんな筆致で語られたら笑うに笑えず、
教科書なんかに載っていたらオトナってこういうものなのか、と思ってしまう。

この話は富士山をけなすことから始まって、
有名な「月見草がよく似合う」とか、言いつつ、彼も富士山の魅力から逃れられずにいる。
今の流行り言葉で言えば、富士山なんてあまりに「ベタ」だということなのだろう。

「おう、けさは、やけに富士がはつきり見えるぢやねえか、めつぽふ寒いや」

・・・私はこんなことをつぶやいた魚屋なんか、絶対にいなかったと思う。