2024/12/01

キッズ・リターン

1996年バイク事故から復帰したころに作られた映画である。

新聞の夕刊に載っていたレビューで絶賛されていたのを覚えている。

公開時に新宿の映画館で観た。今回はBluerayディスクを買ってパソコンで観た。

安藤政信の演技の評価が高く賞もたくさん獲ったようだが、私はマーチャンを演じた金子賢もいい演技をしていると思う。

この映画はサクセスストーリーの逆のようなエピソードが並んでいる。挫折とか不運とかいうようりも、自ら失敗するような道を選ぶような、自滅するようなエピソードである。

ボクシング、タクシー運転手、お笑い芸人と、武自身が経験したことが描かれていることもあって、そのエピソードもリアリティというか説得力がある。

また、バイク事故の経験も投影されているだろう。


この映画で失敗に終わらないのは、お笑い芸人を目指す若者たちと、最後にジムに入った3人組のリーダーのような男(花山?)のエピソードである。

花山はシンジやマサルが挫折した後、ボクサーとして成長し成功しているように描かれるのだが、あのシーンの意味が当時はよくわからなかった。

今回観て感じたのは、このボクサーもきっと自滅するように挫折するのだろうな、ということなのだが、もしかしたら、こういうお調子者みたいな奴の方が成功するということなのかなとも思った。

そしてお笑い芸人を目指すもの達は、派手な成功をおさめている様子はないが地道に努力してこれから花開いていくのではと思わせる。

彼らは武のお笑い芸人としての成功を表現しているのだろうか。自分の周りで破滅していった者たちとそれを見ながら成功していったという。


この映画は青春を描いているが甘酸っぱいとかほろ苦いというものではなく、もっと辛く苦しすぎるものだ。

マサルとシンジという「失敗した」二人が、「まだ始まってもいない」というのは、挫折してもくじけないという希望や不屈の心というよりは、もっとむなしい虚勢であり、あんなにいろんなことがあったけど何も残っていないという絶望にすら感じる。

いい映画だとは思うが、この映画に表現されていること、武が表現しようと思ったことはそんなに簡単に理解できるものではないと思う。もしかして、武自身も各シーンがどういう意味なのかはわかっていないのではないだろうか?