第四編まで読み終わった。話が劇的に進んだ。
リョーヴィンが社会改革のようなことを考えている。これは共産主義と似ているがそれとは異なるものだと本人が言っている。
アンナの不倫はどうにもならず、カレーニンは離婚を考え弁護士に相談するがどうしても踏み切れない。
リョーヴィンはキチイと結婚することになる。
アンナが子を産み、体調を崩して死にそうになる。ヴロンスキーがピストル自殺を図るが一命はとりとめ、その後アンナとヴロンスキーはイタリアへ立つ。
この小説の中心となっている二組の男女の関係が、対照的に不幸と幸福に向かって進んでいく。
描かれ方が非常にリアルで、人間関係も多様に多方向から描かれているのであたかも現実を見ているかのようだ。
「戦争と平和」に描かれた会話はすべてトルストイ自身が見聞きしたものであって自分で「創作」したものはひとつもない、という話を聞いて感心したのだが、「アンナ・カレーニナ」もそうなのだろうか?「アンナ」は起こる出来事が個人的なことではあるが深刻である意味戦争などよりも重いことかもしれない。こんな出来事に関わる男女の心理など、自分が経験しなければ知ることはできないだろう。
リョーヴィンがトルストイ自身をモデルとしているとよく言われるが、彼もいろんな経験をしていてそんなに純朴で清廉潔白な人間ではない。多分、オブロンスキー、ヴロンスキー、カレーニンすべてにトルストイ自身が投影されているだろう。
アンナについては、プーシキンの娘がモデルだとかいう話もあるがどこまで本当かわからない。今まで読んだ感じだと、アンナという女性はトルストイの創作である部分が大きいように思う。
トルストイ自身がそして読んでいる私が男性だからそうならざるを得ないのかもしれないが本作を読んでいて感情移入するのはアンナではなくヴロンスキーやカレーニンの方だ。リョーヴィンについてはニュートラルな存在なので感情移入するということもない。
kndleで米川正夫訳を読んでいるのだが、ちょくちょく疑問を感じる表現が目に付く。脱字もある。日本語としてこなれていないところがある。そういう個所を新潮文庫の木村浩訳で見てみると「こなれた」日本語で書いてある。
kindle版を読み始めてから少し内容が把握しにくくなったような気がしていたのだが、読み進めてきて、明らかに木村訳の方が読みやすい。
ただ、あくまでも私が読んでいるのはロシア語の翻訳である。微妙なニュアンスは翻訳ではわからないだろう。むしろ、こなれた日本語にしてしまうと原文の微妙なニュアンスが訳者の意図で消されてしまうようなこともあるかもしれない。