退屈を感じた第六編のあと、また怒涛の展開となって、第八編はエピローグのような感じだった。
リョーヴィン夫妻の子が生まれ、アンナが自殺する。
ヴロンスキーとアンナ、リョーヴィンとキチイの二組のカップルが対照的に描かれる。
タイトルは「アンナ・カレーニナ」であるが、トルストイが描きたかったのは、描きたかったというか、描くべきだと考えたのは、リョーヴィンとキチイ、そしてその子の方だったのだろう。
アンナはなぜ自殺したのか。その心理は詳細に描かれている。まるで、彼女と一緒に自分が死んでいくような気にさせられる。
彼女が死んだのは良心がとがめたのでもなく、不倫を世間に非難されて追い詰められたのでもなく、ヴロンスキーを苦しめるためだった。
もちろん、それだけではないのだろうが、最終的には彼女は愛情の冷めたヴロンスキーに復讐するようなつもりで死んだ。
アンナとヴロンスキーのエピソードだけでも一つの小説になりそうであるが、本作はそのエピソードと同じくらいリョーヴィンとキチイのエピソード、特にリョーヴィンの心理や思索が描かれている。
それによってこの小説は救いようのない悲劇とならず、衝撃や悲しみを感じつつも生に対して肯定的な考えを持つことのできる作品となっている。