2008/08/18

八代亜紀

オリンピックを見ようとサウナに行ったがその合間にアクユウが詞を書いた曲を流す番組を見ていた。亡くなった直後はなるほどと思いながら見守っていたがさすがにいつまでやってるんだという気になってきた。

私が小学生の頃に売れていた歌謡曲のほとんどといってもいいくらいの多くの曲の詞を書いている。が、しょせんは歌謡曲、大衆芸能である。言葉も通俗でベタだなあなどと思いながら見ていた。

私は歌謡曲の詞などどうでもいいと思っている。詞はあまり意味がないほうがいい。ある曲を聴くときに詞がいいと感じるような曲は駄作である。詞は、曲を損ねない程度になんとなくふわっと書かれていればよい。

山本リンダ、尾崎キヨヒコ、岩崎宏美、桜田淳子、沢田研二・・・・。

沢田研二にも感心したが、八代亜紀の舟唄には参った。
詞ではなく、曲に参った。

わたしは物心つくかつかないかの頃から八代亜紀が大好きだった。

そして今日、その物心つくかどうかのときに私が見ていた八代亜紀の映像を見て、わたしの感性が正しかったことを確認した。

2008/08/11

愛の園

歌謡選抜といえば、西城秀樹が「愛の園」というシングルを発表したときは衝撃的だった。

それはまだベストテン入りする前に、新曲紹介ということでかかったのだ。 そのときは司会の小川哲也も戸惑っていて、私も、「こんな曲日曜の昼に流していいのかよ」と思いっきり引いたのを覚えている。当時は「引く」という言葉はなかったが。 

そしてさっきyoutubeで探してみたら、この曲はsteivie wonderの曲だということがわかった。 おみそれしました。 で、結局この曲は売れたのかどうか、覚えてない・・・ あまり売れなかったんじゃないかな・・・

君に薔薇薔薇・・・という感じ

先日ある場所で田原俊彦の「君に薔薇薔薇・・・という感じ」という曲がかかっていた。私が中学生の頃の曲だが、なかなかいい曲だ。調べたら案の定、筒美京平の作曲だった。

私は、今思い出すと少し気持ち悪いが、歌謡曲が大好きだった。ザ・ベストテン、ドレミファドン、ヤンヤン歌うスタジオなどを欠かさず見ていた。そして日曜日は朝9時ごろから放送されていたランキング番組、当時は「ベストテン番組」と呼ばれていたが、をずっと聴いていた。

午後1時からは全日本歌謡選抜という文化放送の番組があった。これは生放送でリクエストを受け付け、3時ごろにベストテンが発表される。さすがにそれをずっと聴くことはなく、ベストテン発表のところだけを聴くのである。そしてベストテンはカセットテープに録音し、好きな曲を何度も繰り返し聴いて覚える。

田原俊彦には、期待していた。少年の自分から見てもカッコイイと思った。一見ナヨナヨとしているようだが、自分でも言っていたように「男、田原俊彦」であった。

いかに好きだったかと今になってわかるのが、シングル曲をみなよく覚えていて、とくに発売直後にラジオで聴いて、これはいいだのダメだなどと判定していたことである。

「薔薇薔薇・・・」は、ちょっと大人向けの曲だったかもしれない。
「悲しみ2ヤング」なんかは日本歌謡史上に残る名作だと思う。


2008/08/03

太宰治 「人間失格」

「人間失格」を読み直した。こんなに短い話だったのか。この小説について、実は壮大なボケであり笑わせているのだ、という説を聞いたことがある。確かに部分的にはそういう意図が見えないこともない箇所があるが、ほとんどは本当に苦悩し絶望した自身の生涯の告白だろう。画家を目指していたが売れず、誰かの亜流のマンガを描いていたとか、春画をコピーして売っていたとか、その辺はちょっと読んでいて悲しくなる。初めて読んだのは高校生のとき。それから20年以上たって読んでみて、当時はわからなかったことが、わからなくてよかったことだが、よくわかるようになった。10年くらい前にも読み直して、あらためて酷いハナシだと愕然とした記憶があるが、今読むとすっかりうなずけてしまう自分がイヤだ。たとえば、何度か出てくる「金の切れ目が縁の切れ目」の解釈。酒に溺れそれを自己嫌悪しながらやめられない心理と生理。酒を飲んで何かを忘れたいとか、飲むと眠れるとか、飲むと陽気になるとかいうようになったのはここ数年のことである。「失格」では、酒以外にもカルモチンとかジアールとか薬物の名前が出てくる。圧巻は酒をやめるためにモルヒネを注射するところだ。とにかく、二言目には酒が出てくる。そして最後、「お酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも」。酒が相当におそろしいドラッグであるというのは確かに同意するけど。

「失格」を読み終えた後、読みかけの「破獄」を読んだ。そして、太宰の文章との違いがほとんど肉体的な感覚に近く、感じられた。吉村昭の文章は、まるでルポルタージュである。実際、これは事実に基づいているからそうなるのも当然かもしれないが。そして、ルポルタージュと文学の違いというのがどういうことか、わかったような気がした。それは、言葉で説明するのはむずかしいが、感覚としてははっきりしている。「失格」のなかの言葉遊びのくだりで、「キミは詩(ポエジイ)を知らんね」というセリフがあるが、まさにそのポエジイというものが、太宰にはある。それは別に破滅的な人生のことではない。「破獄」を読んでいると、「失格」がなんだかおとぎ話のように、浮世離れしたものに、まさに「詩」のように感じられる。

あと、女について。さんざん女に世話になっておきながら、女をすっかり馬鹿にしている。だいたい名前が酷い。シヅ子、シゲ子、ツネ子、ヨシ子・・・。なかには定かでないものもある。特に「シヅ子」。これが太田静子を書いたものかどうかはわからない。ただ名前を借りただけかもしれない。でも、こんな風に名前を使われた彼女の心中はどんなだっただろうか。そしてそのシヅ子と暮らしているときに、二日ぶりに帰ってきて部屋をのぞいた後、また銀座に飲みに行ったというくだりには呆れる。ここは最近のテレビのトーク番組で爆笑をとれるネタである。

ヨシちゃんというのは、山崎富栄がモデルではないだろうか。私は彼女に非常に興味がある。写真をみたこともあるがとても美しい。そして強気で、純粋で、太宰が気に入るのもわかる気がする。ただ、太宰はあれかな、ちょっと深い仲になるとその人のイヤなところばかり見えてしまって魅力を感じなくなってしまうのかな。以前、太宰の心中未遂は実は心中なんかじゃない、というかなり説得力のある話しを読んだことがある。彼の作品にしばしば登場する罪悪感というものはそのせいなのだと。それもわかる。よーく、わかる。

私はもう太宰が死んだ歳を過ぎてしまった。芥川もとっくに。三島が死んだ歳も刻々とせまっている。その次は漱石。みんな若くして死んだんだな・・・。

2008/07/10

DEEP RIVER

宇多田ヒカルはデビュー時にセンセーションを巻き起こしたが、私はその時には冷ややかに見ていた。R&Bをマネして藤圭子の七光りで注目されてるだけじゃねえのかよ、と。

しかしDEEP RIVERはすばらしかった。このアルバムは彼女が結婚する直前に出たアルバムだと思う。多分結婚した彼のことを歌っている曲が何曲もあるだろう。それ以外にもTravelingのどちらまで行かれますちょっとそこまで不景気で困りますドアに注意とかいうやりとりに感心する。

彼女のアルバムを全部聴いたわけではないが、これが最高傑作だろう。
これより傑作のアルバムを作ってたら、もう、許さない。

2008/07/04

吉村昭 「破獄」

吉村昭の「破獄」を新潮文庫で買った。
今日、ファミレスで食事をした後読んでみた。
これは、しばらく前に緒形拳主演でNHKでドラマをやっていたのを見て、ヘンな感動を覚え、読んでみたいと思っていたものだ。
吉村氏はたしか最近亡くなったのだが、ガンになったが延命治療を自ら断って死んでいったとかいう事を聞いた。

最初の一章を読んで、なるほど、と、普段そんなことはまずしないのだが、パラパラとページをめくっていると、ひっくり返っているページがある。上下が逆なのだ。2、30ページくらい。こんな文庫本は新品でも古本でも見たことがない。
発行年月日などが書いてある脇に「落丁、乱丁はお取替えします」と書いてあるのはいつも見ていたが、本当にお取替えすることがあるとは。

多分、いまどき新潮文庫でこんな乱丁があるのはかなり珍しいことじゃないかと思う。
めんどくさいな。もう一冊新しいの買ってすまそうかな。

新潮社に送ったら多分丁重な詫び状つきで返ってくるとは思うが、
面倒なので、さいわいレシートもあったので、買った店に取り替えてもらう。


虫の知らせだったのだろうか。読んでいる途中で緒方拳が亡くなった。そして昨日、破獄が再放送された。そして今日、読みかけの破獄を新宿の喫茶店で読み通した。脱獄名人は最後はおとなしくなって出所し、まっとうな生き方をして死んだらしい。最後のほうは、恐ろしい脱獄犯にも情けをかければ通じる、みたいな展開になって、ちょっと安っぽくなってしまったように感じた。でも事実なのだから仕方がないが。読み通すのに苦労する小説だった。

2008/06/18

ルソー 「孤独な散歩者の夢想」

今ルソーの「孤独な散歩者の夢想」という本を読んでいる。これは高校生の頃読んで共感をおぼえた記憶がある。内容はまったくといっていいほど覚えていないが。

あらためて読んでみると、異様な文章であるのを感じる。なんというか、きわめて抽象的なのである。具体的な情景が全然出てこない。
最初の章を映像化したら、いすに座って黙っている男がいるだけの映像になるだろう。しばらくすると犬にぶつかって転ぶ話がでてくるのだが、これもなんだか異様である。犬にぶつかるってそうあることではないし、犬にぶつかったからって転ぶこともあまりない。よっぽど巨大で凶暴な犬なのだろうか。

犬の件はともかくとして、抽象的で同じようなことをごにょごにょ言うというのは、欧米語、特にフランス語の特徴なのではないかと思った。
カミュの短編にも、やたらに饒舌な話があった。カフカを読んだときも抽象的だとは感じたが、そんなにごにょごにょはしていなかった。

2008/06/08

walls and bridges

ベスト盤。知っている曲も多いからと聴いていなかったのだが、もっと早く聴いておくべきだったと後悔した。もうそんなアルバムはないよな?ホワイトアルバムもそうである。

ガットゥゲッダーン ダンノンマイニー ガットゥゲッダーン ダンノンマイニー ・・・
から始まり、エルトンジョンとのワレバゲッチュースルーザナーイに続いていく並びもいい。
beaf jerkeyもいい。それぞれは、例のFMラジオから録音したやつで曲自体は知っていて、なんかヘンな曲だなと思っていたが、アルバムとして聴くといい。

ジョンレノンにまとわりついている、生い立ちとクスリからくる、なんともいえない臭さがないこともないが、それも良さのうちである。この「臭さ」というのは尾崎豊とか柴田恭平とかのクサさとは違って、本当に「臭い」のである。

nobody loves youはアレンジがちょっと大げさで、別テイクのほうがいい。
最後のya yaも、rock'n rollに入っているやつのほうがよい。



そういえば、rock'n rollも名盤である。
stand by meという映画は名作らしいのだが、ボン、ボン、というあのアレンジがどうもうけつけなくて、そのせいで見てないといってもよい。もしかしたらあっちのほうがオリジナルなアレンジなのかもしれないが、私にとってstand by meはジョンレノンのスッチャスッチャというカッティングのアレンジとして染み付いてしまっている。

全体的にレノンがいっちゃってる感じで、パンク的な匂いすらする。

ジョンは丸めがねをかけて長髪にしてヨーコがどうのピースがどうしただの言い始めた頃はあまり好きじゃない。まあ誰でもそうかもしれないけど。

2008/05/27

バックトゥザフューチャー

今BS2でバックトゥザフューチャーが、1が、やってる。
これは高校生のとき、友達3人くらいで観にいった。
でも、全然おもしろくない。
まあ、当時はなんとなく楽しんだけど、もう見てらんない。
9時半からMLBハイライトを見る。

ただ、この作品にはデッドマンの冒頭ですばらしい演技をする顔がすすけた機関士役の俳優が出ているらしいので、録画してそれだけチェックする。


(翌日)

今日は2をやっている。今日は仕事をしながら、あらためてこの映画のつまらなさを実感していた。そういえば、監督ではないがスピルバーグの名前が冠されていた。
何度も書いているが私はスピルバーグの映画のよさがわからない。嫌いなのではなくて、わからない。基本的に私はミーハーで売れてるものはなんでも好きになってしまうところがあるのだが、スピルバーグだけはそうでないことについては、俺も俗人離れしたところがあるのか、と少しうれしいくらいである。

2は、初めて見るが、まだ20分くらいしか経過していないが、これはダメだ。
絶対に駄作であると断言できる。

back to the futureが人気があるのは、少なくとも1については、50’s的なフンイキがあるからだと思う。古きよき恋愛、心配する親、ヘビメタなどがなかった時代。
タイムマシンはあくまでも過去を振り返るためのきっかけ、小道具にすぎない。

2、3は見ていず、2だけは最初の方をちらっと見たのだが、
どうもタイムマシンによる時間旅行が前面に出すぎているように感じた。
また、未来に行くというのは、あまりおもしろくない。

タイムマシンのことを話すとき、未来に行きたい人はあまり多くない。
ほとんどの人が、過去にもどってやり直したいと思うのではないか。
基本的に人は年をとることをおそれるから。

2008/05/21

TAXI DRIVER




この映画にはいろんな縁がある。初めて見たのはテレビで夜中にやっていたのかな?
「タクシードライバー」という名前が一人歩きしていたような記憶がある。
尾崎豊のseventeen's mapのジャケットだったかな、俺の目はtaxi driverのデニーロみたいに燃えていた、なんて書いてあった。

この映画は3回くらい、今までに見ている。
マーチンスコセッシという名前はいまでこそひとかどの映画監督だということになっているが、
よく考えてみると、彼が撮った映画で異色作じゃない、正当な傑作はあるだろうか?

わたしはこの映画について、監督がスコセッシだとか、主役がデニーロだとか、
ジョディフォスターが出てるとか、そういうことは全く関係なく、重要な作品である。

あるとき、一緒に仕事をしていた先輩が俺に言った。
「○○さん、タクシードライバーって知ってる?君を見るとトラビスを思い出すよ」

それは私が雑談で「クリントン(orブッシュ)を暗殺したい」と言ったときである。
どちらか定かではないが
共和党の大統領を暗殺することはありえないので
多分クリントンであろう。
いや、もしかしたら日本の総理大臣かだれかかもしれない。

たぶんお人よしのようでファナティックで何を考えているのかよくわからないところが、
彼と似ていたのだろう。
俺はうれしかった、その先輩はあまり好きじゃなかったけど。

でも、タクシードライバーという映画が何を言いたいのかは、
いまだによくわからない。
さっきNHKのBS2でやっていて、録画したものをみながら書いているのだが・・・

まず、文芸作品ではない。
世界と歴史を肯定する映画ではない。
これを見た人を幸福にしようとして作られた映画ではない。

この映画でおもしろいのは、音楽。
甘い、俗悪といってもいいサックスのメロディーと、
サスペンス・ホラーの効果音的なおどろおどろしい音楽の交替。
これがこの映画のキモのひとつである。

2008/04/29

HANA-BI

部屋を掃除していたらHANA-BIのDVDが出てきた。買ったものではなく、WOWOWで放送されたものをVHSテープに録画したものをパソコンで録画してDVDに焼いたものである。だから画面のハシにヘンな線が入っている。しかし、この映画を見ているときにそんなことは気にならない。この映画は、そもそも武自体がそういう人間なのだが、見事に絶望を描いている。武は絶望を体現している男である。同僚が殺されたからといって犯人をぶっ殺していいわけでもないし、銀行強盗して殉職した同僚の遺族を助けることが許されるわけでもない。それは、善悪の問題ではない。合法違法の問題でもない。心情の問題である。こんな見事な絶望は現実にはあり得るものではない。こんな生き方をしたら狂人である。ただの極悪人である。しかし、そんな生き方をしている彼は全く幸福ではない。毎日滅私の精神で我慢を重ねて生きている人の方が、おいしい食事を味わいささやかでも暖かな家庭の団欒を楽しみぐっすり眠っていることだろう。しかし彼は何の得にもならないことをして、自他をともに傷つけ破滅の人生を歩んでいる。いったいなぜそんな事をするのか。

武の描いた絵はどれも乾いていて冷たくて、これまた絶望した絵である。美しいね、すばらしいねと人に言わせることを拒んでいる絵である。たとえるなら、愛する人や子供に何かをねだられても何を買ってやることもできず、空っぽの財布を振っておどけるような、そんな絵である。

そういうときに、人はあきれて、愛想をつかして、怒る気もなくし、逆にかわいく思えてきたりする。そういう映画である、HANA-BIは。

空に吸われし


不来方のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心

これは石川啄木の短歌で、中学の国語の教科書にのっていた。そのときはよく意味がわからなかったが、高校生になって部活で筋トレをやるためか何かで校庭に仰向けになったときに、もう夜で暗くなった空にモコモコしている雲を見ていて、まさに心をすわれるのを感じた。

2008/04/28

ジョルジュ・バタイユ 「文学と悪」

私はバタイユの「文学と悪」という評論集を持っている。文庫本のクセに1300円くらいする。バタイユは三島から興味を持ったのであるが、いまだに彼の書いたものがよく理解できない。「文学と悪」についてはボードレールとかウィリアムブレイクとかについて書いている。そして文学というのは悪を描くもので、少年時代である、などというちょっと興味をひかれることを言っていて、つまりは彼も文学が「すばらしい」ものではないということを言いたいのだと、そこは共感するのだが、やっぱり今ひとつ理解できない。この本で最初に取り上げられている作家はエミリ・ブロンテである。「嵐が丘」を書いた女で、30歳くらいで死んでしまったらしい。そしてこの作品が、とんでもない悪を描いているというのだ。「嵐が丘」は松田優作も出た映画になったりもしていた。読んでみたが、途中でやめてしまった。共感できないからだろう。暗くて激しい作品のようだが、どうしても入り込めなかった。今日、もう一度読んでみようと思ったが本が見つからない。捨ててしまったか?