2013/01/03

ヨイトマケの唄

今年は紅白歌合戦をラジオで聴いた。最初から最後まで。紅白を全部通したのはおそらく生まれて初めてである。今回私が注目したのは、矢沢永吉、三輪明宏、斉藤和義などである。注目はしていなかったが気になったのはきゃりーぱみゅぱみゅと、途中で西田敏行らが歌った歌、あとはYUIかな。それから、赤組司会の堀北真希の声がよかった。

三輪明宏は「ヨイトマケの唄」を歌った。この唄に感動したという声をインターネットの諸サイトでちらほら見たが、私はこの唄のよさがわからない。

いいと言う人は歌詞の内容に感動するようである。歌詞の内容は一言で言うと「労働賛歌」である。しかもこの唄は「土方」という言葉により差別問題も扱っており、さらに、その「土方」仕事をしていたのは父ではなく母である。母子家庭だったのだろうか。

バカにされながらも母の働く姿に感動した子は、「勉強しよう」と決意し、大学を出てエンジニアとなる。彼は自分の人生を「成功」だと考えているようである。

そのことはもちろん悪いことではない。しかし、私には少し引っかかるものがある。

この男は、「俺は土方仕事なんか嫌だ、バカにされたくないから一生懸命勉強して大学を出てエンジニアになるんだ」という気持ちがあったのではないか。

私は「土方」が差別される理由がよくわからない。私に言わせれば机に座って汗ひとつかかず不毛な会議や書類のやりとりをしている「ホワイトカラー」とか「管理職」と呼ばれる人々の方がよっぽど卑しいと思う。

「土方はイヤだから勉強してホワイトカラーになる」というのは賢明な考えではあろうが、美しく感動的なものではなく、私から見れば卑しいとさえ感じる。

この男が母に感じているのは、「土方のようなみっともない仕事をして、バカにされながら私を育ててくれてありがとう、僕はあなたみたいな人間にならずに済むように大学へ行って出世します」ということだ。

私はその学問観にも疑問を感じる。

学問というものは、各個人の生活の糧を得るためのものではない。学問の目的はそんなことではなくて、人類全体への貢献を目指すものである。「土方にならないように大学へ行く」などという動機は卑小極まりない。

私は努力や自己研鑽を否定するのではない。

だが、それらの目的が単に「グレずにまともな人間になって安楽な生活をする」という、ごく個人的な利己的なものであることに幻滅を感じるのである。