パラサイト

JOKERがアカデミー作品賞確実とかいう噂を聞いていたが1917という日本では未公開だがすごい映画があるという話を聞き、さらに、韓国語の映画なのに史上初めてノミネートされたというパラサイトという映画があるというのを知って観にいこうかなと思っていた翌日に作品賞を受賞したというニュースを見た。

その日の夜に見に行った。混んでいたので22:00ごろから始まる回だ。

ほぼ満席だった。

作品については、監督から俳優からストーリーから何から何までまったく知識がない状態で観た。

わかっていたのは韓国の映画であることとアカデミーの作品賞をとったということくらいだ。

あと、宣伝文句みたいなものから「万引き家族」と似たような映画で、あまり明るい話でないのはわかっていた。


私は絵にかいたようなサクセスストーリーとかハッピーエンドよりも悲劇的な話の方が好きではあるが、残酷だったりグロテスクだったりするのは嫌いだ。

そしてパラサイトは残酷でグロテスクな映画だった。


映像の美しさや構成(映像もストーリーも)のおもしろさなどはなるほどとは思ったが、

観終わった後の後味はあまり良いものではなかった。

JOKER

たしかおととしに「ダークナイト」を今更ながら初めて見たのだが感心した。

そして去年「JOKER」が話題になった。
ジョーカーが主人公の映画だという。
いわゆるスピンオフというものか。


観ようと決めて上映スケジュールを確認しているときに初めてロバートデニーロが出ているのを知った。

映画が始まってだんだん、「タクシードライバー」の雰囲気を感じ始めたが、後でwikipediaを見たらそれは意識されていたことらしい。

あと、「時計仕掛けのオレンジ」も思い出した。


観ていて退屈することはなかったが、思っていたより悪を掘り下げていることもなかった。

ジョーカーは不幸な境遇ゆえに悪人にならざるを得なかった、という、
言ってしまえばつまらない話でしかなかった。

ダークナイトの時のジョーカーの悪に対する執念というか、忠実さとさえいえる徹底ぶりの方が強く印象に残っている。

本作ではジョーカーが人々を殺していくのに、ある程度正当な理由がある。

そして映画はそんなジョーカーが英雄視されるような描き方がされる。

あくまでも映画の中で民衆が彼を支持するというだけなのだが、
その必然性というか、そこまで人々の心をとらえるような強いものがあるとは感じられなかった。

ピエール瀧

ピエール瀧がコカイン使用で逮捕された。

そのことを知ったのはtwitterであったが、コカインという名詞にちょっと驚いたが、
ピエール瀧がコカインをやっていた、ということについてはなぜか、
「やっぱりな」と感じた。

電気グルーヴという名前は知ってはいたが、その音楽は聴いたことも聴いてみようと思ったこともない。

やっぱりな、と感じた最も大きな理由は、アウトレイジでの彼の演技を見たことだ。

演技というか、彼の役柄。

あくまでも映画の中での配役で演技にすぎないのだが、
今までみた映画、ドラマ、漫画、小説、あらゆる創作物のなかでも、
あんなに醜い、悪い、みっともない役は見たことがない。

武の映画は好きだが、アウトレイジは嫌いだ。
どうしてああいうものを撮るようになってしまい、
どうしてあんな映画が売れるのだろう。

瀧の役がああいう風になったのは、やはり彼のもつ雰囲気というか、
性格、にじみ出るもの、そういうものからなんとなくエスカレートしていったのではないだろうか。

椎名桔平とか西田敏行とかではあんな役にはならなかっただろう。


薬物使用については、あまりかっこいいものではないとは思うが、
人として許せないとかいう感情はまったくもたない。

逆に、善人ぶって、やりたくても勇気やカネがないだけの奴らが騒いでいるのが不愉快なくらいだ。


カメラを止めるな!

非常に話題になっていたが、ストーリーとか漏れてくる映像に魅力を感じず
観ないでいた。

年末に旅行した時に飛行機で上映していたので観た。

監督・脚本は上田慎一郎という人。全く知らない。


「ゾンビ映画を撮影していたら本物のゾンビが出てきた」という話であることは聞いていたが、

それをユーモラスにあるいは意表をついた形で描いているのかと思ったら、

本当にそのままの話だったのでガッカリした。

何があんなに騒がれたのかよくわからない。


私は恐怖映画とかグロテスクなシーンというのは嫌いだ。

美しいものも醜いものも、さらりと描いて欲しい。



ホラー映画というようなジャンルが好きな人には、ハンディカメラで撮ったチープな映像がかえって生々しく怖くみえた、みたいなことなのだろうか。


クリード2

原題は Creed II
邦題は「クリード 炎の宿敵」

前作(といっても監督が違うが)クリードがとても良かったので楽しみにしていた。

今度の相手はドラゴの息子。

前作ではロッキーがタオルを投げなかったことを悔いるシーンがあり、
(今作でもあった)
まるで「自分がアポロを殺した」みたいに後悔しているのだが、
アポロが戦った相手はドラゴである。

ロッキー4では「アポロはドラゴに殺された」かのような描かれ方になっていた。
そしてロッキーがドラゴと戦って勝つ。

そのあらすじを聞いたときに私はくだらない、と、みる気にもならなかった。

しかしロッキー4は公開後数年経ってから観て、シリーズ最高傑作かというくらいに
感動した。

ロッキーについては、クリードの時に書いたが、もはや単なる映画ではない。
今の大人でロッキーを知らない人はどれくらいいるのだろうか?


ロッキーとドラゴの対決は決して仇討ちなどではない。

そして今回の因縁の息子同士の対決もやはり、仇討ちではない。

しかし二人が戦う背景にはたくさんの因縁や動機となるでき事が存在している。


今作はロッキーシリーズの中でも人情に訴えるシーンが非常に多く、
サクセスストーリー的な要素は非常に少ない。

むしろライバルのドラゴ親子とか娘の誕生にまつわるでき事とか、ロッキーと息子の関係とか、
そういうことについての物悲しさが重点的に描かれている。

監督はスティーブン・ケイブル・Jr. という人だが全く知らない。

脚本はスタローンとジュエル・テイラーという人。

そして「ストーリー」シルベスタースタローンというクレジットがある。



感動はしたのだが、ドラマが乱立していて焦点が絞られていないような印象を受けた。

観る前から冒頭を観ているくらいまでは、あしたのジョーの金龍飛戦やリングにかけろの辻本戦のような、相手役の悲劇がテーマとなった作品なのかと期待したが、そうではなかった。

アドニスがチャンピオンになり結婚し子供が生まれる。
主人公のドラマを描かないわけにはいかない。

ドラゴはあくまでも敵役でそのドラマはほんのさらりとしか描かれなかった。

ストーリー、脚本、監督という3つの役割に3人がクレジットされている。

おそらくこの3人の意向が配分されたのだろう。

というか、スタローンの原案があって、それを今、商業映画として上映するために必要なカタチに仕上げるために、二人が関わったのではないだろうか。




アリー/スター誕生

斬、を観に行ったときにも観ただろうか?ボヘミアンラプソディを観た時の予告編を観て、これは絶対に観に行こうと決めた。

主人公の女性がレディガガであることは観にいこうと決めてから知った。

監督であり副主人公の俳優であるブラッドリークーパーのことは全く知らない。

この映画がリメイクであることは観終わってから知った。
全体的に時代が不明な雰囲気なのも、リメイクだからだろうか。
youtubeが出てきたり小道具などから一応現代の設定であることはわかるが、
ほとんど時代を超越した物語である。

観る前はもっと単純なサクセスストーリーでハッピーエンドなのかと思っていた。
そういうものを期待してもいたが、悲しい結末であった。

レディガガのことはもちろん知っていたが、まともに彼女の曲を聴いたことはない。

しかし映画を観て、彼女の歌だけでなく存在感のようなもののすごさに圧倒された。

映画が終わってデビューアルバムを買ってみた。
ブリトニースピアーズの後期のような無機質な曲ばかりでなかなか受け付けなかったが
次第に彼女のよさがわかってきた。

映画もそうなのだが、彼女は古風なのである。
古風なんて言葉はほとんど死後だが、オーソドックス、もっというとまともな大人、
常識人、そういうもの。

顔だちも子供みたいなカワイイものではなく、面長で、
声もネコみたいに黄色いものではなく腹から出る女性にしてはやや太い声。



シン・ゴジラ

話題になって気にはなったが結局映画館では見なかったが、
テレビをつけたらたまたまやっていたので観た。

「庵野秀明の映画」と思っていたが、
監督は二人クレジットされていて、庵野秀明が「総監督」、
樋口真嗣という人が監督・特技監督となっている。

しかし脚本、編集も担当しているし、「総」がついているくらいだから、
庵野氏の映画と受け取っても差し支えないだろう。

テレビをつけて、すぐにその映像に引き込まれた。
ゴジラそのものよりも、ゴジラが現れたときの政府の対応やニュースの放映の仕方などが
非常にリアルだったからだ。

しかし、見続けているうちに違和感というか、嫌悪感に近いものを感じ始めた。

この映画は日本アカデミー賞を受賞するなど評価は高く興行成績もよかったようだが、
批判というか、悪口も目にすることが多かった。

私の感じた嫌悪感は、エヴァンゲリオンを見たときに感じたのと同じようなものだった。

エヴァンゲリオンも興味を持って観たのだが、なんというか、根本的なもの、訴えかけるもの、テーマというか、作り手の表現したいこと、総合的なことに対して、拒絶反応が出る。

まず感じたことは、「大人の男性が描けない」ということである。

エヴァンゲリオンのときも、大人の男性は感情がなく、表情がなく、当然彼らに対する共感を感じられない。

大人は主人公やその周囲の人物にとっての障害物のように、ゴジラが壊す街の建造物のように描かれる。

大人が描けないというのはエヴァンゲリオンでも感じたことだが、本作について不満を感じたのは大人についてだけではなかった。

登場する人物達が、大がかりなプロジェクトに参加しているスタッフにしか見えない。

セリフも説明的で、それぞれが人間として実在している感じがない。

実在する地名、日本政府、自衛隊、省庁、そいういったものが「リアル」に描かれるのだが、CGよりももっと現実感がない。

私は官公庁や自衛隊の内情を知らない。おそらく本作は入念な取材や各方面の協力を得たのだろうが、こんなに指揮命令系統がきれいなピラミッドを形成していて、一致団結しているのだろうか?

そして、そうあるべきだろうか?

クライマックスでゴジラに対して、無人の爆撃機を大量に投入したり爆弾を積んだ電車に突入させたりする場面には寒気を覚えた。

この映画にはユーモアが皆無だ。感情に訴える場面もない。

自衛隊がゴジラに対して攻撃する際に、一つ一つの攻撃について、末端から上部に伺いをたてて防衛大臣と思われる女がひとつひとつ総理大臣の承認を得る場面が繰り返されるが実際にはそんなことはないだろう。

あえてこのようなことを描いたのは、戦闘に参加した自衛隊員たちに攻撃の意思はなく、あくまでも国を守るため、総理大臣の命令で攻撃したのだという責任転嫁をしているように見えてならない。

結局、ゴジラに対して核兵器を使用すべきという他国からの要望があるなか、なんとか核を使用せずにゴジラを眠らせることに成功する。

ゴジラというのはもともと核兵器が原因で生まれた怪獣という設定だった。

その怪獣を核兵器で倒すという皮肉。

そのほうがおもしろいと思うけど

パラサイト

JOKERがアカデミー作品賞確実とかいう噂を聞いていたが1917という日本では未公開だがすごい映画があるという話を聞き、さらに、韓国語の映画なのに史上初めてノミネートされたというパラサイトという映画があるというのを知って観にいこうかなと思っていた翌日に作品賞を受賞したというニュー...