2011/06/12

さや侍

初日に新宿で見る。5時半頃からの回を見ようと1時間くらい前に行ったら売り切れでその次の回にするが、
それでも最前列2列の席しか残っていなかった。
客の反応はよくて、後ろから笑い声やすすり泣きも聞こえた。
今までの2作と違ってはぐらかすようなところがほとんどなかった。
映画としては成功だったのではないだろうか。

しかしそれはあくまでも商売としての話で、私はあまり松本らしくない映画だと感じた。
エンドロールにも脚本は松本とクレジットされているがそこに高須氏初め何人かが案を出しているようだった。

始まってしばらくは、説明的だなと感じることが多かった。

そんなことはどうでもいいのだが主人公が逃げて、さらに捕まり、さらに笑わせることになる理由が今ひとつよくわからず、感情移入できない。
単におもろいおっさんにアレコレやらせて笑いものにしているだけのように感じなくもなかった。

笑わせるゲームの結末については、全く予想外ということでもなかったがまさか、という感じだった。
しかし主人公が死ぬソーンはやや冗長でその後はちょっと蛇足に感じた。
あそこはもう少し暗示的にやってほしかった。

本作はおそらく、松本が最初に意図していたものとは大きく違ったものになったのではないだろうか。
今までの2作が今ひとつ評価が低かったため、「売れさせよう」という、周囲のスタッフの力みが感じられた。
大日本人もしんぼるも3回くらい見たが、さや侍は多分もう見ない。

野見さんは、「働くおっさん劇場」に出演していた当時、たまたま勤務時間が遅くて帰って寝る頃にやっていたので見ていて、強烈な印象を持っている。
テレビでさえないおっさんやじいさんが言うどうでもいいことを笑いものにするというのはよくあるが、彼はただのおもしろいおっさんではなかった。

いくら素人でも、テレビに出るようになると自分がどんなことを言い、どんな反応をすればいいかわかってきて、客が求めることをするようになる。
しかし野見さんを初めとする「働くおっさん劇場」の出演者にはそういうことがほとんどなかった。
どうしてそういうことができたのか。後から知ったのだが、おっさん劇場では松本は野見さんと対面すらしていないそうだ。もし松本の目の前で何かやらせたら、やっぱり一度受けたことを何度も繰り返すようなことをしていたと思う。

しかし松本もいなければ笑う客もいない。声で指示をしたりちょっとした会話をするときにも、松本は頻繁にわらうのだが、その笑い声が野見さんには絶対に伝わらないように配慮されていた。

そしてその方法は今回の映画撮影でも使われたそうで、主役であることも映画を撮っていることすらも、ギリギリまで知らされていなかったという。

あと、番人みたいな役の一人の口をあけた三白眼の男が気になっていたのだが柄本明の息子だった。
彼がよかった。ちょっと甘口になってしまった今回の映画を引き締めていた。
そう、今回の映画は甘口だった。お子様向けだ。松本がもっとも嫌うこと。
子連れ狼の影響が見えた。あと武の影響も。
武っぽさはスタッフが出していたのかもしれない。