2010/03/16

The Who Live at Yokohama 2004/07/24


横浜の競技場。名前が何度か変わったので正式名称は知らないが、ワールドカップの会場にもなった、6万人くらい収容できるスタジアムである。2004年に、ここにThe Whoが来た。

初めての来日である。The Whoは間違いなく、それまで来日したことのなかったバンドの中でもっとも大物だった。私はWhoが日本に来ることなどないとあきらめていた。ある日テレビでロックオデッセイのCMが流れて、whoが来ることを知った。2004年の夏は、とても暑かった。ロックオデッセイは野外イベントである。

whoの出番は夕方だった。私は昼頃会場に着いた。全身にイレズミを入れた男が裸になってステージに立って喚いていた。音量がすさまじく、すぐに外へ出た。会場で売られていた一杯500円のハイネケンを、何杯も飲んだ。B'zの稲葉、Who、そしてエアロがトリ、という順番だった。稲葉のステージは見ずに、会場の外でハイネケンを飲みながら時間を潰した。そんな人がたくさんいて、うれしくなった。

5時ごろだったかな。少しすずしくなってきたが、まだ明るかった。いよいよザ・フーが、The Whoが登場する・・・・。会場が異様なざわめきと緊張感につつまれる。Whoのファンって、こんなにいたのか?

ライブのレビューを書くつもりはない。もう6年も前の話だし。私はその次のWhoの単独公演も観に行ったが、2004年のほうが断然よかった。なんせ、初来日である。Whoのメンバーも、観客も、初めてのご対面である。特に、ボーカルのロジャー・ダルトリーには緊張の色がありありと見えた。Peteはサングラスをしていたが、やはり緊張というか心を閉ざしたような、ビジネスとして演奏しよう、というような雰囲気を感じた。私も、多分他の観客達も、「もう60歳のオジイさんだし・・・でも有名なザ・フーだから、盛り上げないとね」くらいの気持ちで来ていたのではないだろうか。

しかし、数曲が演奏されるうちにそんなものは消し飛んだ。Anyway Anyhow Anywhereをやった頃にはすっかり会場は一体化していた。ロジャーの顔も柔らかくなり、ピートもサングラスを外した。私は当時のwhoがどんなセットリストで演奏していたのかもロクに調べずにいたのだが、その日の演奏もいつもどおりのリストだった。しかし、私は、アンコールのTommyメドレーの、Pinball Wizardから始まって Amazing journey, Sparksへとの流れに驚いた。

Amazing Journey...

はっきり言ってこの曲は、「カルトソング」である。Tommyという、Whoの代表作自体が、はっきりいって「カルトアルバム」である。多分会場の多くの人はそんなことを気にしていなかっただろう。そしてTommyメドレーは、期待していなかったと言ったらウソになるが、まさか無いだろうと思っていたギタースマッシュで幕を閉じた。あれ以来、Peteはギターを壊していない。多分、The Who最後のギタースマッシュである。

Peteがシャンパンゴールドのストラトをフラ~っと持ち上げた。「ぶち壊す」とかいう感じではなく、自然に宙に浮いたような、静かな、柔らかな感じであった。そしてPeteはその金色のストラトキャスターを、ステージに、叩きつけた。粉々になった。エレキギターが、あんな風に粉々に壊れるのか?と驚くくらい、粉々に、きれいに壊れた。40年くらいステージに立って何本もギターを壊し続けて、どこを叩きつけたらギターが壊れるのかを熟知しているのかと感心するような壊しっぷりだった。

そしてPeteはその後に、エフェクターもおまけのように叩きつけた。ニヤリと笑って、アンプのツマミを絞った。

エアロのステージが始まってまもなく、わたしは会場を後にした・・・・・・・・・