旧約聖書を読む (18) ヨブ記

ヨブ記は有名で、苦労話をする時などに引き合いにだされたりする。先日、加山雄三が徹子の部屋でヨブ記に触れていた。

私もヨブ記はすでに何度か読んでいる。

ヨブ記というのは、「苦難に耐えて信仰を持ち続けた」あるいは「信仰を失いかけたが悔い改めた」という話だと思っている人が多いのではないだろうか。ヨブ記を読まず、「ヨブ記とはこういう話だよ」と人から聞いたらそういうものだと思ってしまうだろう。

しかし、読んでみるとそんな単純ではなく、簡単に感動できるような話ではない。まず、何の落ち度もないヨブに対し、サタンが苦難を与えることを許可するという神について疑問がわく。

ヨブを慰めるために友人たちがやってきて、七日の間黙っているのだが、とうとうヨブが「キレて」、口を開き、友人たちとヨブの対話が始まる。

だが、何が争点となっているのかがよくわからない。どちらも神を信じており、もっともなことを言っているように見える。エリパズ、ビルダデ、ゾパルという友人とヨブが対話した後に、エリフという若者がヨブとその友人たちに対して怒るのだが、彼が言うこともまた、4人とそれほど根本的に対立するようなことを言っているようには思えない。

そして最後に主が現れてヨブを諭し、ヨブは反省する。主はエリパズに対し、「わたしの怒りはあなたとあなたのふたりの友に向かって燃える。あなたがたが、わたしのしもべヨブのように正しい事をわたしについて述べなかったからである」という。

エリパズ達の何が正しくなかったのかはよくわからないのだが私の解釈するところでは、エリパズ達の示した神観は「神は悪い事をした人を罰する」というもので、それに対してヨブは「(自分のように)悪い事をしていない者が罰せられ、悪事を働く者がのさばる」といっていて、強いてあげればそこが争点である。

エリフについては主が怒らなかったので、間違ったことは言っていないようである。彼がヨブに対して言いたかったことは「自分に罪がないなどと言えるのか」といった事であろうか。

結局ヨブはこの苦難の前よりいっそう豊かになる。

ヨブの発言はサタンが「あなたをのろうでしょう」が言った通りになったようにもとれるが・・・
私は、自分がうまくいかないときなどに、ヨブの「のろい」の言葉を共感して読んでいた。


旧約聖書では、ほとんどの人が「主」のいう事を聞かない。バアルやアシラ像や「高いところ」を拝み、異民族と交わる。列王記などでは、どの王が正しくどの王が間違っていたかを断定しているが、それならその後は正しい道を歩めそうだがおそらくそうはなっていない。

聖書を読んでいると、神の命じることをしなかったものが滅び、神に従ったものが栄えている。安息の地に至りそしてそこに住んでからも、「徹底的に殺しつくさなかった」ということで主が怒ることがよくある。たとえばサムエル記上でサウルについて、「わたしはサウルを王としたことを悔いる。彼がそむいて、わたしに従わず、わたしの言葉を行わなかったからである」と言ったのは、「今、行ってアマレクを撃ち、そのすべての持ち物を滅ぼしつくせ」と言ったときにサウルが羊や牛などを残したことについてである。

神の目的はイスラエルの子孫たちによる世界征服である、と言っても過言ではないだろう。だが、もしただ自分の選んだ民族を地上に増やしたいだけなら、アマレクだろうがペリシテだろうが、火を降らせたり洪水でも地震でもおこして、ソドムとゴモラにしたように滅ぼすことは可能に思える。

それをせずに、何度言っても裏切る人々を遠くから見守るようにしているのはなぜなのか。

神は選んだ人に語るのか。それなら、どういう人を選ぶのか。「正しい」人を選ぶのか。「正しい」人なら神はいらないのではないか。

何が「正しい」のか。神がやれと言った事が正しいのか。人が善悪を判断してはいけないのか。「それなら神はなぜ人間に自由意志をあたえたのか」と言えば、「神は人が自分で判断して行動することを願っている」と言うだろう。でも、それは結局人が善悪を判断することになるではないか?

人が自分が裸であることに気づきエデンの園から追い出されたのは、「善悪を知る木の実」を食べ「われわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった」からである。
それなのに人はその後、神のように善悪をわきまえないことで叱られて殺されたりしているのだ。

陰影礼賛

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