2012/10/30

旧約聖書を読む (12) 列王紀下


イスラエル民族の衰退の歴史。イスラエル王はほとんど皆偶像崇拝をおこなう。
ユダの王は比較的まともである。読んでいくうちに別人で同じ名前が出てきて、特にイスラエルとユダの両方にヨラムがいたりして、どっちがどっちだっけと混乱するがそんなこともどうでもいいくらいイスラエルもユダも衰退していく。ユダはマナセ王がやってはいけないことをことごとくやり、どうやらこれが決定的となったらしい。そのあとにヨシヤという「ヨシヤのように心をつくし、精神をつくし、力をつくしてモーセのすべての律法にしたがい、主に寄り頼んだ王はヨシヤの先にはなく、またその後にも彼のような者は起こらなかった」と書かれるくらいの王が登場するがもう遅かったようで、バビロンに征服され民は連れ去られる。


エリヤはつむじ風に乗って昇天する。

預言者ヨナとイザヤが登場する。


ごちゃごちゃしたので、マタイによる福音書に載っている系図(ダビデ以降)と、列王記の記述をくらべて見た。

ダビデ、ソロモン、レハベアム、アビヤム、アサ、ヨシャパテ、ヨラム(列王記上22章)

ここまではよいが、列王記だとこの後、

アハジヤ、ヨアシ、アマジヤ、アザリヤ(列王記下15章)

となっている。そして、次がヨタムなのだが、それが「ウジヤの子」となっている。
だが、「アザリヤの子ウジヤが王になった」という記述がない。

ヨタム以降は一致していて、
ヨタム、アハズ、ヒゼキヤ、マナセ、アモン、ヨシヤ(列王記下22章)

次が「マタイ伝」ではエコニヤとなっているが、
列王記ではエリアキム(エホヤキム)、エリヤキンとなっている。

歴代志との食い違いもあるらしい。

ちなみにアモンは家来に殺されている。王を殺した者たちも殺されているが。


それにしても、どうして皆バアルだのアシラだのを拝んでしまうのだろうか?
どんな魅力があるのだろうか。不思議でならない。


(追記)
「列王記」じゃなくて「列王紀」でした。タイトルを修正。