詩篇はよく引用される。イエスがよく引用し、十字架について息を引き取るときには第22篇を詠んでいたそうだ。
ざーっと走り読みしたが3時間近くかかった。
私が傑作だと思うのは第42篇である。
神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、
わが魂もあなたを慕いあえぐ。
わが魂はかわいているように神を慕い、
いける神を慕う。
いつ、わたしは行って神のみ顔を
見ることができるだろうか。
人々がひねもすわたしにむかって
「おまえの神はどこにいるのか」と言いつづける間は
わたしの涙は昼も夜もわたしの食物であった。
というか、これくらいしかいいな、と思うものはない。
ちなみにこれはダビデの作ではない。
あとはなんだか、「主よ主よ 」とほめたたえるか、逆に泣きつくようなものばかりだからだ。
詩篇ではところどころ、行の下の方に「セラ」と書いてある部分がある。
前からなんだろうと気になっていたが調べたら休符のようなものだそうだ。
「エデンの東(だと思う)」で、ジェームスディーンが聖書を朗読させられ、「セラ」までわざと読んで「そこは読まなくていい」と怒られるシーンを覚えている。
気になったのは「シオン」という言葉で、これまであまり出てこなかったような気がするのだがエルサレムのことだそうだ。
しかし、紀元前10世紀、日本では縄文時代にこのような詩を書いていたというのは驚異的なことなのではないか?それも王であり軍人であるダビデが。