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新約聖書を読む (1) マタイによる福音書

「バビロン捕囚」は世界史の年表にものっていて、紀元前586年のことである。
紀元前538年にキュロス2世によりユダヤ人が解放された。

イエスが誕生した時のユダヤの王はヘロデであるが、この王はまるでエジプトのパロのようで、旧約聖書に書かれていた歴代のユダの王のようではない。

聖書に登場するユダの王はヨシヤのあたりまでで、ヨシヤの在位は紀元前609年までである。
エルサレムへの帰還が紀元前538年。
神殿の再建が紀元前458年。エズラ記はこのときの記録のようだ。
旧約聖書から新約聖書の間には400年程の空白がある。
その間になにが起きていたか。
アケメネス朝ペルシアが紀元前330年にアレクサンドロスに滅ぼされる。
紀元前305年にプトレマイオス朝エジプトがおこる。
紀元前312年にセレウコス朝シリアがおこる。

紀元前167年にマカバイ戦争が起こる。
このことを記録しているのが「マカバイ記」で、カトリックでは正典とされているそうだが、
私は持っていない。
この戦争により、紀元前142年にはユダヤは実質上独立し、ハスモン朝が始まる。

紀元前63年にセレウコス朝シリアはローマのポンペイウスに滅ぼされ、
ユダヤはローマのシリア属州の一部となる。
紀元前37年にハスモン朝が滅亡し、ヘロデ朝が始まる。
実質的にはローマの属国だったが、いちおう独立国だったのか?
新約聖書に登場するヘロデは大王と呼ばれた王の子の、ヘロデ・アンティパスである。


さて、マタイの福音書であるが、これはもう、なんというか、引用され曲解され、都合のいいように利用され、深読みされ、手垢がついたどころか、原型が見えないほどボロボロにされている観がある。

今回改めて読んで気になったことはまず、「預言の成就」ということが何箇所かにあることである。イザヤが多く、エレミヤ、ヨナもある。ヨナが3日魚の腹の中にいて吐き出されることが、まさか救世主の復活のことだったとは。

それから、「エリヤ」が非常に重要な人物として扱われている。イエスがモーセとエリヤと会談する場面がある。モーセはいいとして、なぜエリヤなのか。アブラハムとか、ヤコブ(イスラエル)とか、ダビデとかではなく。

イエスについて、彼の発言について、福音書に書かれている出来事について語ったら一冊本が書けるどころか一生のテーマになるどころか、2000年たってもいまだに解釈がわかれているのだから、とりあえずそういう話なのか、と受け取っておく。

いろいろ言いたいことがあったがまとまらない。
ひとつおもしろいたとえを思いついた。

旧約聖書と新約聖書では共通点もあるが別の宗教であるかのような違いもある。それは、トランプでババ抜きをしていた所に、7並べという新しい遊びをもたらしたようだ。同じトランプを使っているのだが、ゲームは全く違うもの。

私はずっと旧約聖書を読んだ後に久しぶりにマタイによる福音書を通読して、トランプがシャッフルされるような混乱を感じ、そんなことを思った。